2008年5月8日木曜日

asahi shohyo 書評

葬儀の植民地社会史—帝国日本と台湾の〈近代〉 [著]胎中千鶴

[掲載]2008年04月20日
[評者]赤澤史朗(立命館大学教授・日本近現代史)

■日常の悲しみにも「日本式」を強制

 親しい身内の葬儀に外部からあれこれ介入されるのは、愉快なことではない。死者をどのように弔うかについては、遺族に独自の価値判断があるから だ。しかし植民地統治下の台湾では、日本の官憲によって葬儀の「風俗改善」が奨励され強制された。本書はそれが現地で、どんな軋轢(あつれき)を引き起こ していったのかを明らかにしたものである。

 著者によれば伝統的な台湾の葬儀は、次第に腐敗し異臭を放つ死体の穢(けが)れへの対抗手段という観点を重視したものであったという。つまり葬儀 とは、遺体を重厚な棺に納め、女たちが号泣し、棺を自宅や寺廟(じびょう)にとどめて時間をかけて良い埋葬地を選ぶという、「正しい」葬り方をするもの で、それによって遺族や共同体が災いを免れ、幸福を招くものと考えられていた。

 しかしそれは植民地当局から見れば、非衛生で無知な改善すべき「陋習(ろうしゅう)」であった。死体は衛生上の観点から火葬にし、遺骨を当局が公 認の墓地に速やかに埋葬すべきものであり、号泣を含むにぎやかな葬列などは虚栄心に満ちた非文明の象徴だった。葬儀を「日本式」にすることは、葬儀を近代 化することと同じとされたのである。

 こうした葬儀の「風俗改善」を進んで実行しようとしたのは、地域の支配者層であった。さらに第1次世界大戦後の民族運動家も、新式の葬儀を考案し 実行した。しかしその試みは広まらなかったという。こうした中で1936年から始まる台湾の皇民化運動は、伝統的な葬儀を排斥し、「日本式」の葬儀を強制 していくのだった。

 都市化の進行によって、台湾の葬儀の伝統は変化を余儀なくされる面があった。しかし異民族の風習が植民地下で強要されることは、台湾人の心に深い 葛藤(かっとう)や亀裂を生み出すものだった。葬儀のあり方には、その社会の価値観が集積されており、そこには遺族の悲しみも込められているからである。 日本の植民地当局の進める近代化とは台湾人にとっては何だったかを、葬儀という日常の生活意識を通して解明しようとした、これまでにない力作である。

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 たいなか・ちづる 59年生まれ。目白大、立教女学院短大非常勤講師。

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葬儀の植民地社会史—帝国日本と台湾の〈近代〉
著者:胎中 千鶴
出版社:風響社
価格:¥ 4,200

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