2008年5月27日火曜日

asahi shohyo 書評

欧米人の見た開国期日本—異文化としての庶民生活 [著]石川榮吉

[掲載]2008年05月25日
[評者]石上英一(東京大学教授・日本史)

■こう見えていた140年前の日本人

 キリスト教文明社会の人々、中でも外交官・軍人・学者などの知識階級が、国際社会への開国、文明社会への教化を使命として日本を訪問・滞在した時 の、公務記録、日記・旅行記は、日本社会の過去についての知識を再確認させてくれると共に、あるいは覆し正してくれる。または、それらは、私たちに偏見・ 差別、誤解・誤認だとの反発も起こさせる。

 石川榮吉は、オセアニア・インドネシア社会調査、ポリネシア史、日本人のオセアニア観・ヨーロッパ観の研究を進めた社会人類学者である。石川は、 17世紀末にオランダ商館の医師として滞在したケンペル、19世紀のシーボルト、ペリー、ハリス、オールコック、アーネスト・サトウ、東大で動物学を講じ たモースなどの40の記録を網羅し、欧米人の見た近世・維新期、明治前期の日本を紹介する。また、明治11年に東京から北海道まで旅行した英国のイザベ ラ・バードの旅行記、勝海舟の三男梅太郎の妻となったクララ・ホイットニーの日記など、女性の視点も紹介する。

 1863〜64年に修好通商条約締結のために滞在したスイスのアンベールは、日本人の容姿の印象を、身体は中ぐらい、頭でっかち、胴長短足、顔は 扁平(へんぺい)で眼窩(がんか)浅く吊(つ)り目、頬(ほお)骨突出、出っ歯、皮膚はオリーブ色の混ざった褐色と記している。一瞬、この観察は、若者は 別として、今の自分たち熟年世代を観察する欧米人のものかなとも思ってしまう。

 ただし、上流階級の女性には抜けるほど色白の者も見受けられたとのこと。また、開国期に来日した欧米人の男性の多くは、日本娘の美しさを礼賛した という。一方、江戸時代、女性は結婚すると眉を剃(そ)り落としお歯黒にするので、娘や未婚者とは容貌(ようぼう)がまるで異なってしまい、彼らには美し いとは評されていなかったという。私たちが時代劇で見る男女の風貌(ふうぼう)・姿は、時代考証を得て化粧し結髪し装ったものではあるが、現代人が演じて いる限り、当時の欧米人が見た日本人とはだいぶ雰囲気が異なっているのかも知れない。

 日本人の風呂好きも彼らには異様だった。江戸に限らず下田などでも、銭場では男女混浴が普通に見られた。混浴禁止の町触れは江戸でも度々出されて いたのだが。暑い夏の日、男は褌(ふんどし)、女は腰巻きの庶民の半裸姿も、彼らの道徳意識からは批判されるべき習俗だった。だが、欧米人の中にも、羞恥 (しゅうち)心とは社会制度であり、「一国民を描くには、まず彼らの内的生活——いかに行動し、考え、かつ彼らの家庭関係が何であり、彼らの美徳と悪徳が 何であるか——を知らなければならぬ」(パンペリー日本踏査紀行)との正しい指摘はあった。

 異文化理解は、開国期に来日した欧米人の課題であったばかりではない。それは、欧米文化の受容による変貌(へんぼう)とアジアとの関(かか)わり を経験した我々の、複合民族社会化の兆しのもと、グローバル化の時代における、他者認識のあり方の問題でもある。いや、難しい課題は別として、酒と刺し 身、草履と下駄(げた)、扇子と懐紙、畳や枕、昔の文化を改めて知りたくなるのがこの本である。

    ◇

 いしかわ・えいきち 25年生まれ、05年死去。首都大学東京(東京都立大)名誉教授(社会人類学、オセアニア民族学)。『南太平洋物語』で毎日出版文化賞。

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