2008年5月13日火曜日

asahi shohyo 書評

小林秀雄—近代日本の発見 [著]佐藤正英/魂(アニマ)への態度—古代から現代まで [著]神崎繁

[掲載]2008年05月11日
[評者]苅部直(東京大学教授・日本政治思想史)

■日本に息づく深い思考の系譜

 「わが日本、古(いにしえ)より今に至るまで哲学なし」。20世紀の初頭に、中江兆民が『一年有半』でそう語ったことは、よく知られている。

 だが本当にそうか。西洋哲学のような精緻(せいち)な理論は、たしかに乏しい。しかし、現実を超える存在へ迫る、深い思考の系譜は、独特の形で、この日本にも息づいているのではないか。佐藤正英の新著は、この系譜につらなる哲学者として、小林秀雄の全体像を描きなおす。

 みずからがこの自己として在(あ)る究極の根拠に、何としても出会いたい。その切迫した願いが、ランボーへの共感を支え、ドストエフスキーの小説の読解へ、日本の思想史への問いへと、小林を突き動かした。佐藤はそう指摘する。

 その探求の背景には、西洋文明の浸透にさらされ、文化がたえず流動化する、近代日本の状況があった。そのなかで小林は、自己を支える、歴史との共 感に満ちたつながりを、必死に求める。その営みが、ときには、本居宣長の「古事記」理解への依存ゆえに、浅薄な記述に陥ることにもなった。

 佐藤が示唆する小林秀雄の限界は、古典の叙述に向き合うさい、読解の厳密さに欠けるところがあったゆえだと読むこともできるだろう。神崎繁の新著 が、西洋の哲学史では、先人の著作の誤読や、同じ比喩(ひゆ)の転用が、思考の新たな展開をもたらしていることに着目する。言葉の襞(ひだ)に慎重にわけ いる手法を用いて、「魂」(アニマ)をめぐる哲学史を語るのである。

 アニマは本来、古代ギリシャで、呼吸や運動や思考など、生命現象のすべてを支える働きと考えられていた。その発想が、ストア派やアウグスティヌスの著作を経て、人間の心に関する精密な考察に発展し、やがて近代、現代の哲学へと連なってゆく。

 神崎の紹介によれば、日本の近世初期のキリスト教徒もまた、認識の営みに関する、西洋哲学の議論を、それなりに深く咀嚼(そしゃく)していた。日本人の思考の歴史には、「哲学なし」と言い捨てるだけではすまされない奥ゆきが、やはりあるのだろう。

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 『小林秀雄』さとう・まさひで、『魂への態度』かんざき・しげる

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