2008年10月8日水曜日

asahi shohyo 書評

聖者たちの国へ—ベンガルの宗教文化誌 [著]外川昌彦

[掲載]2008年9月28日

  • [評者]小杉泰(京都大学教授・現代イスラーム世界論)

■宗教文化を豊富な調査と深い洞察で

  ベンガルは現在のバングラデシュとインドの西ベンガル州を合わせた地域である。もともとベンガル語を話すムスリム(イスラーム教徒)とヒンドゥー教徒が仲 良く暮らしていた。英領時代の分断政策のためもあって、現在はイスラームの国バングラデシュとインドに分かれているが、人々の宗教実践を見れば、今でも似 通ったところがたくさんある。

 その共通項として、著者は聖者廟(びょう)に着目する。廟の多くは、ムスリムにもヒンドゥー教徒にも好まれる参詣(さんけい)地となっている。聖者を尊ぶ考え方は、宗教の違いにかかわらず、修行を通して魂を高める内面的な価値を重視している、と著者は言う。

 そこは、伝統的な詩や民俗歌謡があふれる場でもあり、豊かな文化が育まれてきた。たとえば、中北部地方の氾濫(はんらん)原は バングラデシュの中でも最も開発が遅れているとされる。雨期の半年間は大地は水におおわれ、村々は文字通り大海の孤島となる。乾期は、船も使えないため に、徒歩で行くしかない陸の孤島となって、援助もろくに届かない。

 そんな地方が、実は、一弦琴を用いる吟遊詩人の地であり、近代の南アジアを代表する音楽家が輩出している。物質面では測れない濃密な生活文化が息づいている。農村の若者たちは、聖者廟の祭礼で歌を競い合う。

 バングラデシュはかつて仏教国で、やがてヒンドゥー教が広まり、さらにイスラームが浸透した。そうした文化の歴史とベンガルの自然風土が融合した伝統的な宗教文化を、文化人類学者の著者は豊富な現地調査と深い洞察で描き出す。

 修行者の姿、聖者廟での儀礼の様子、祭礼と地域社会の結びつきなど、興味深い描写を通して、政治・経済ニュースには出ない生活の文化が見えてくる。それを著者は、いわばベンガル版のスピリチュアルな世界として、日本人にも理解できる形で語る。

 ベンガル語の詩や歌が数多く、読みやすい訳で収録されているのも、本書の大きな魅力であろう。写真家大村次郷氏による口絵写真も楽しい。

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