2008年10月21日火曜日

asahi shohyo 書評

偶然を生きる思想—「日本の情」と「西洋の理」 [著]野内良三

[掲載]2008年10月19日

  • [評者]尾関章(本社論説副主幹)

■偶然にみえる「必然」か、偶然の「妙」か

 行きずりの出会いはときに恋を実らせ、新しい生命を芽生えさせる。その愛の結晶がひとかどの人物に育ち、歴史を変えることもある。

 「偶然」は、この世界の隠れた主役である。東西の思想文化がそれとどうつき合ってきたかを描いた一冊だ。

 なにより、この本そのものが偶然の産物らしい。著者は学生時代、友人から「西洋史の講演があるぞ」と言われて聴きに行った。と ころが「西洋史ではなくて西洋詩」の話だった。それがきっかけでマラルメにひかれ、この詩人が格闘した「偶然」と向き合うことになったのだという。

 西洋は「必然」を重んじる。日本では「偶然の『妙』を喜ぶ」。その対比が論考の一つの基調をなしている。

 それは、理系世界にも一脈通じる話だ。

 この本でも、最近盛んなカオス科学の源流に位置するポアンカレや、名著『偶然と必然』で知られる分子生物学者モノーが登場する。

 カオスとは予測困難な変動をさすが、引用されたポアンカレの言葉はその本質を見抜いている。「ごく小さい原因が、吾々の認めざ るを得ないような重大な結果をひきおこすことがあると(中略)吾々はその結果は偶然に起ったという」(『科学と方法』吉田洋一訳)。これは、チョウの羽ば たきが遠い国の天候異変につながる、というバタフライ効果にほかならない。

 気象のように決定論の力学に従う現象も、原因を細部まで見分けられなければ偶然に等しいということか。

 必然志向の西洋流科学がカオスの存在に気づいた。本当は必然なのだが、偶然にしか見えない物事があることを受け入れたのである。

 この本を離れて言えば、現代物理の主柱である量子力学も確率論の偶然をはらむ。今日の科学は日本流の感性に近づいているように見える。

 一方、モノーの偶然観は「出会い」だという。これは、別の章で論じられるブルトンのシュールレアリスムと見事に重なり合う。

 読んでいて、文系理系の壁を越えた偶然談議が聴きたくなった。

    ◇

 のうち・りょうぞう 44年生まれ。関西外語大教授。著書に『ランボー考』。

表紙画像

偶然と必然—現代生物学の思想的な問いかけ

著者:ジャック・モノー

出版社:みすず書房   価格:¥ 2,940

表紙画像

科学と方法—改訳 (岩波文庫 青 902-2)

著者:ポアンカレ

出版社:岩波書店   価格:¥ 798

0 件のコメント: