2008年10月8日水曜日

asahi science physics Nobel Prize Nanbu Kobayashi Masukawa

3博士の朝、涙あり笑いあり クール一転、喜びの言葉

2008年10月8日15時2分

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写真ノーベル物理学賞の受賞が決まり、記者会見する南部陽一郎さん=7日午前11時21分、米イリノイ州のシカゴ大、勝田敏彦撮影

写真ノーベル賞の受賞決定から一夜明け、会見で新聞各紙に目を通す益川敏英さん=8日午前、京都市北区の京都産業大、高橋正徳撮影

写真京都大学で開かれた会見で、受賞論文が掲載された科学専門誌を手に、当時を振り返る益川敏英さん=8日午前、京都市左京区、高橋正徳撮影

 30年以上、ノーベル賞の候補にあがり続け、物理学の最先端を走り続けてきた南部陽一郎さん(87)。その背中を追い、新たな世界を開いた小林誠さん(64)と益川敏英さん(68)。3人は同時受賞から一夜明けた8日、改めて喜びをかみしめた。

■「老人性涙腺軟弱症ですね」

 「あまりうれしくない」「過去の仕事」と、前日にクールな発言が目立った京都産業大教授の益川さんだが、8日朝に同大学で開いた記者会見では一転、涙を流した。

 南部さんについて聞かれた時だ。「これまでずっと仰ぎ見ながら研究してきた南部先生と一緒に受賞できるのは、最大の喜びです」。声を震わせながら言葉をつなぎ、めがねを外して涙をぬぐった。

 若手研究者だった頃、南部さんが60年に書いた論文を「しゃぶり尽くすほど勉強」した。それが受賞につながる研究の基礎となった。「ノーベル賞を一番最初に受賞するとしたら、南部先生だと思っていた」

 涙の理由を問われると、「老人性涙腺軟弱症ですね」と照れを隠すように答えた。

 旧友らは益川さんのさまざまな表情を語る。

 益川さんが通った名古屋市立向陽高校で同級生だった四日市大経済学部教授の田中正興さん(69)は「ガリ勉タイプではなく、1、2年生の成績は中ぐらい。のんびり構えていたが、3年になってスッと成績が上がった」と回想する。「『大器晩成』の見本のような人」

 ただし、数学と物理への情熱は非凡だった。

 茨城県鹿嶋市の土屋義和さん(68)は、暇さえあれば数学の問題集を解いていた益川さんを覚えている。「休み時間でもほかの科目の授業でも。先生の目を盗んで机の下で解いてましたね」と語る。

 名古屋市北区の薬剤師、杉山茂雄さん(68)によると、「確か、高校1年生の時には、大学入試の問題集を解いていた」。

益川さんの妻明子さん(65)は、長男の解文(ときふみ)さん(39)とキャッチボールをしているのを1回だけ見たことがある。解文さんの速いボールを受けて痛がっていたが、うれしそうだったという。

 受賞した研究は難しく、一般にはなじみが薄い。益川さんは8日朝、報道陣に「子どもたちに何か一言」と促されると、「すごいことが起こっているということだけが伝わればいい。知ったかぶりをすることが大切。そのうち分かるようになる」と語った。

■「賞の重さ強く感じる」

 受賞決定から一夜明けた8日朝、高エネルギー加速器研究機構名誉教授の小林さんは、理事を務める日本学術振興会(東京都)に現れた。午前9時からの会見 で、机の上に並んだ受賞を報じる新聞を横目に「自分の顔はあまり見たくない」と照れ笑い。「大変重い賞をいただいた。重さの方を強く感じる」と話した。

 「物理学の予言者」とも呼ばれる南部さんとは、理論物理学を志した当時、面識がなかった。だが、尊敬する存在で、論文を通してその偉大さを感じていた。

 その後、第一線の研究者として親しくなった。大先輩との同時受賞が「何よりもうれしい」と笑顔で語った。

■「未解決問題、解き続ける」

 【シカゴ=勝田敏彦】米シカゴ大名誉教授の南部さんは現地時間7日午前、同大で英語と日本語で記者会見し、「若いころは(受賞を)期待していたこ ろもあった。だが30年以上、『候補の一人だ』と言われ続けたので『特に今年に』と思ったことはなく、とても驚いた」などと喜びを語った。

 授賞理由になった「対称性の自発的破れ」について説明を求められた南部さんは「説明は難しいですね」といいつつ、「(ばらばらな方向を向いていた)大勢の人が突然、私の方向を向いたりする。そういうことなんです」などとユーモラスな身ぶり手ぶりで話し、笑いを誘った。

 南部さんは、渡米して50年以上になり、70年には米国籍を取得した。日本に戻らなかった理由について、専門の素粒子物理学以外の人とも自由に意 見交換ができるシカゴ大の研究環境の良さを挙げ、「いろいろ仕事の申し出はあったが断り続けた」と話した。また「退職して16年ほどになるが、私の仕事は 未解決の問題を解くこと。死ぬまで続けたい」と研究への強い意欲も見せた。




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