2009年11月3日火曜日

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渡来人の拠点か、7世紀の「大壁」出土 奈良・明日香村

2009年10月31日0時37分

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写真:檜前遺跡群で見つかった大壁遺構。L字形の溝の中に柱穴が並んでいる=奈良県明日香村、渡写す檜前遺跡群で見つかった大壁遺構。L字形の溝の中に柱穴が並んでいる=奈良県明日香村、渡写す

 朝鮮半島で多く見られる「大壁」と呼ばれる7世紀前半〜半ばの土壁の遺構や7世紀後半の集落跡が、奈良県明日香村の檜前(ひのくま)遺跡群で出土した。 同村教委が30日発表した。蘇我氏と手を結んで勢力を伸ばした有力な渡来系氏族、東漢氏(やまとの・あやうじ)の氏寺「檜隈寺(ひのくまでら)」の南約 200メートルで、大壁遺構が同村内で見つかるのは初めて。同村教委は「東漢氏の本拠地だったことを裏付ける発見」という。

 公園整備のため約1200平方メートルを調査。L字形の溝(南北10メートル、東西7メートル以上、幅40〜70センチ)が見つかり、溝の中に は、柱の抜き取り穴(直径約20センチ)が並んでいた。溝に細い柱を何本も立てて竹などで補強し、土壁を造る渡来系の建築工法の大壁とみている。

 出土した土器から大壁は7世紀半ばになくなったらしく、同後半には掘っ立て柱建物(東西6.3メートル、南北4.2メートル)に造り替えられていた。この西側で同時期の掘っ立て柱建物が六つ見つかり、集落を作っていたらしい。

 同寺周辺では9月、渡来系の特徴とされ、煙の通る道がL字形になった石組みのかまどがある7世紀前半〜半ばの竪穴式住居跡が出土した。

 猪熊兼勝・京都橘大名誉教授(考古学)は「大壁遺構が掘っ立て柱建物へと変わるのは、渡来人が日本に順応したためだろう。檜前は渡来人の拠点とされながら物証が少なかったが、飛鳥での渡来人の実態が徐々にわかってきた意義は大きい」と話す。

 現地見学会は11月3日午前10時〜午後3時。(渡義人)




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