ナイフ投げ師 [著]スティーヴン・ミルハウザー
[掲載]2008年03月02日
[評者]久田恵(ノンフィクション作家)
■偏愛する濃密な世界にめまいが
ミルハウザーの今回の短編集『ナイフ投げ師』は、装丁も美しく、秘密の箱入りチョコレートみたい。
そう、一度に食べてはいけないチョコレート。夜ごとに一粒ずつ、こっそり口に入れ、惜しんで味わう。時に、その独特な味に眩暈(めまい)がし、脈拍が速くなり、心臓がぱくぱくしてしまう。
でも、ミルハウザー好きというのはどうも偏った人らしい。どんなふうに偏っているかは、読んでみてもらうしかないけれど。
実は、私がこの作家を知ったのは、最近のことで、不思議の国のアリスが、ウサギの穴を永遠に落ち続ける短編「アリスは、落ちながら」を読んで、ぐぐっときてしまったのだ。
彼は、見せ物芸人、中世の城、奇妙な博物館や遊園地などの世界を偏愛する作家で、なにかにとりつかれ、呪われたようにその極北(本質)まで突き進んで滅びてしまう人を好んで描いている。
その精緻(せいち)な描写、巧みな展開。柴田元幸の訳が凄(すご)いなあ、といつも思うのだけれど、イメージ喚起的な美しい文章に魅了され、あっというまに、密度の濃い世界に巻き込まれてしまうのだ。
正直言って、ミルハウザーの作品を読んですぐは、他の小説(とくに最近の)の文章が、すかすかで読めない、という事態に陥ってしまう。
これが、結構、怖い。
今回の短編集には、味わいの異なる12の作品がおさめられていて、どれもいいのだけれど、私のお気に入りは、自動人形劇を偏愛する人々の住む街を 舞台にした「新自動人形劇場」。それと、過剰なる熱情に衝(つ)き動かされ、地下にどんどん遊園地を広げていく天才オーナーを描いた「パラダイス・パー ク」。ミルハウザーらしい傑作だと思う。
ちなみに、訳者が、解説で言っている。彼の魔法に感染してしまうと「健康を取り戻すことは不可能に近い」と。そうか、感染している私は、書評の書き手として、すでに健康体とは言えないのか。孤独な夜、ひとり、妄想に耽(ふけ)りたい読書偏愛タイプの方にお薦めである。
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The Knife Thrower and Other Stories、柴田元幸訳/Steven Millhauser 43年、米国生まれ。『バーナム博物館』など。
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