過激派出さぬ国に…サウジ、3200人再教育
2008年03月22日14時14分
イスラムの聖地を抱え、世界最大の産油量を誇るサウジアラビア王国。親米国家でありながら、01年の9・11米同時多発テロ事件では実行犯19人のうち 15人がこの国の出身だった。03年のイラク戦争開戦後にはリヤドで外国人住宅を狙った連続爆破テロが起き、政府は厳しい過激派掃討作戦を実施した。しか し、イラク情勢の悪化で国民の反米意識は強まり、過激思想の克服に苦慮している。
リヤドのショッピングモールは夜になると家族連れでにぎわう |
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「米兵がモスクでイラク人を殺す映像を見て、1週間眠れなかった」
運輸省勤務ムハンマド・ファウザンさん(35)は語った。04年秋、米軍がイラク中部ファルージャに侵攻した時の映像だ。米軍と戦うためイラク行きを決心する。
過激派との仲介人を見つけてシリア東部のデリゾールまでバスで行き、イラク入りを狙った。1カ月待ったが国境警備が厳しく、断念。帰国したところをサウジの国境警察に逮捕され、禁固2年7カ月の判決を受けた。
サウジは04年、過激派の若者を対象に刑務所で再教育プログラムを始めた。ファウザンさんも入所3カ月目に参加した。
宗教者と4回対話した。最初は「イラクの同胞を助けるのは信者の義務だ」と主張した。宗教者たちはこう説いた。
「ジハード(聖戦)を宣言するのは個人ではなく、統治者だ」「ジハードは武力だけではなく政治的な解決が重要だ」
刑期を終え、運輸省に復職した。いまはこう考える。「イラクを守るのはイラク人の義務だ。私はサウジでイスラムの勤めをしっかり果たす」
イラク開戦後、3000〜4000人のサウジ人が「参戦」したといわれる。
再教育プログラムには宗教者100人、心理学者150人が参加。これまでに対話した受刑者は3200人にのぼる。
イスラム過激派は、「ジハードは神の道」という宗教的な確信で動いている。宗教者に「正しいイスラムではない」と論破されると、改心する者も多い。責任者の内務省次官顧問のアブドルラフマン・ハドラク氏は「対話で8割が過激思想を放棄する」と言った。
サウジの対テロ作戦はリヤドの連続爆破テロで本格化した。首謀者はアフガニスタンのアルカイダの軍事キャンプ経験者だった。事件後、国内にいるアフガン帰還者の洗い出しが行われた。
帰還者で爆破テロ後に逮捕された男性(29)に会った。「9・11事件の時、カンダハルのキャンプにいた」と言う。その2カ月前にアフガンへ。イスラム法学部の大学生だった。「イスラム世界から米軍を追い出すというビンラディン師の戦いに参加しようと思った」
キャンプで2カ月の軍事訓練を受けた。98キロあった体重が75キロに。8月末の午後、ビンラディン容疑者がキャンプに来た。「我々の兄弟はすでに敵地に入った。間もなくよい知らせが届くだろう」と演説した。9・11事件の予告だった。
アフガン戦争が始まり、カンダハルの陥落直前にパキスタンに逃れ、サウジに戻る。1年2カ月服役して出所した。
リヤドの爆破テロとは「無関係」を主張する。「自国でテロを行うのは間違い。民衆の支持を得られない」と批判する。一方で9・11事件については「あの日、カンダハルの市場でタリバーンの警官が私を抱きしめた」と誇らしげに語った。
サウジでは05年以降、国内で深刻なテロは起きていない。服役した2人は過激行動を断念して「危険ではない」と判断され、再び一般市民に戻った。だが、反米感情がなくなったわけではない。
イラク開戦後、反米意識は強まる。アブドラ国王は07年春のアラブ首脳会議で「外国による違法なイラク占領」と演説した。イラクでの悲劇に怒りを募らせる国民向けの配慮に見える。
日本も輸入原油の3割を依存するサウジアラビアは9・11事件後、イスラム過激主義を抑え、民主主義や自由を実現する改革を迫られた。実際に地方選挙の 実施、人権組織の設立、女性の地位向上などが進む。厳格なイスラムの教えと規則で国を治める体制はいま、変化の中にある。
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