2010年6月1日火曜日

kinokuniya shohyo 書評

2010年05月28日

『赤ちゃんはコトバをどのように習得するか−誕生から2歳まで−』ベネディクト・ド・ボワソ ン・バルディ(藤原書店)

赤ちゃんはコトバをどのように習得するか−誕生から2歳まで− →bookwebで購入

「言語習得の深い謎」

 ぼくたちは誰もが、まったく知らない言葉を覚えて、使いこなせるようになるという不思議な、ほとんど奇跡的なことを実現してきたのである。しかしそれで いて、赤子がどのようにして言葉を習得するのかは、ほとんど分からない。フロイトは小児健忘という概念を提起するが、いかにも不思議なことである。

 この書物は、フランス人の言語学者が、アメリカ、イギリス、フランス、日本、スウェーデンなどの諸国を訪れて、喃語段階の赤子、言語習得段階の小児の多 数の発音サンプルを収集しながら、この謎に挑戦したものである。結論から言うと、謎はまだ謎のままだが、いつくか興味深い知見もちりばめられている。

 まず赤子は母親の体内にいるときから、すでに母親の言葉や周囲の物音に耳を傾けていることが確認された。「胎児の聴覚組織は妊娠25週目から機能 し、聴覚レベルは35週目ころには、オトナの聴覚レベルに近付く」(p.34)のである。そして新生児は、他の女性の言葉よりも母親の言葉に愛着を示すと いう。この段階で新生児は、母親が話す言語への親しさを確立することになるのだろう。

 それでも生後5か月から半年までは、新生児はすべての言語を習得する可能性を白紙のように残しているらしい。しかしこの時期になると、聞き分ける 音素の体系が確立してしまう。この時期に「自分の周囲で話されている言語との接触の影響で、音響空間を再構成し、単純化して終えている。音響空間を母語に 関与的なものとしている」(p.51)のである。そしてめったに耳にしない要素を「聞くのを怠る」(p.52)ようになるらしい。

 7か月から8か月頃になると、子供は喃語を話しだす。単語としては識別されない言葉を話し始めるのだが、すでにイントネーションは母語にふさわし いものになっている。アラビア人の幼児の喃語とフランス人の幼児の喃語の録音でテストしてみると、成人の70%以上が、正しく聞き当てたという (p.58)。

 10か月から11か月には、「調音はずっとはっきりとして確かなものとなり、多様なシラブル連鎖がずっと多くなる」(p.59)。子供はまるで 語っているかのように、楽しく喃語で独り言を言う。しかしその後で、すなわち9か月から17か月くらいに、子供は苦しい時期を迎える。喉と舌で歌う楽しさ とは別に、他人の言語を習得しなければならないからだ。これがもっとも不思議なところである。大人が話している会話のうちから、どのようにして単語を切り 分け、分節するのだろうか。

 ぼくたちが外国語を学ぶときには、文の構造をまず習って、たとえば目的語の位置にくるものを次々と変えてゆく。「わたしはリンゴが好きです」「わ たしはリボンが好きです」などと言い換えてゆけば、すぐに単語の数は増える。しかし新生児にはそのような構文の理解はないし、置換要素として単語を示して くれる人もない。身近な誰かが語った「きょうはあめがふりそうね」という言葉のうちから、「雨」という単語を切り出して、それを雪に変えることなどは、と うていできないのだ。

 それだけでなく、それを自分なりに単純化して自分の要求を伝えることができるようにならなければならない。「ミルク」という語をたとえ使えたとし ても、それがほしいのか、もういらないのか、こぼれたのかを伝えるのはきわめて困難である。ここで母親との関係が重要な役割をはたすのは、自明なことであ るが、よほどのことがないかぎり、たとえ話す時期は遅くなっても、子供たちは誰もが言葉を覚えてゆくのである。やっぱり不思議だ。

 フランスの子供たちの言葉の覚え方は「快楽主義」的であるとか、アメリカの子供たちは「実用主義と社交性」が顕著であるとか、スウェーデンの子供 たちは行動意欲を明確に示すとか、日本人の子供たちは「おいしい」「きれい」とか美的感覚を示すとか、どうでもいいような分類もあるが、読んで楽しい本で はある。アウグスティヌスが、フロイトが、チュムスキーが、ラカンが捉えられた謎が、ぼくたちも捉えて放さないからだ。

【書誌情報】
■赤ちゃんはコトバをどのように習得するか−誕生から2歳まで−
■ベネディクト・ド・ボワソン・バルディ著
■加藤晴久・増茂和男訳
■藤原書店
■2008/01
■249p / 22cm / A5判
■ISBN 9784894346086
■定価 3360円

●目次(藤原書店のサイトから)
序論
 コトバ——天の賜
 複雑な賜
 進化の賜
 コトバの能力とコドモ
 モジュール性
 相互作用的学習システム
 コミュニケーションの機能
 ラテン語infansからフランス語enfantへ

第1章 乳児は話さない。しかし……
 新生児、この未知なる者
 音は出せても話せない
 新生児の能力
 生まれる前からコドモは準備していた
 乳幼児の才能
 名前——最初の信号
 言語能力に関わる大脳の構成

第2章 コトバの出現
 生後数ヶ月間の音声表現
 短時間で母語のスペシャリスト
 喃語
 生後7〜10ヶ月のコドモはなにを言っているのだろうか
 生後10〜12ヶ月のコドモはなにを言っているのだろうか
 喃語の性質と機能をめぐる様々な学問的アプローチ
 フランスのコドモはフランス語で喃語を発し、
  ヨルバ族のコドモはヨルバ語で喃語を発するのだろうか
 コドモは訛なしに母語を話し始める
 手話における喃語

第3章 コドモのコミュニケーション世界
 コミュニケーションと表現
 まなざし
 相互的行動
 代わりばんこ(ターン・テイキング)
 情動表現
 外部世界に対して共有された注意力
 母親語(マザリーズ)
 母親の声
 赤んぼことば
 文化とコドモに話す様態
 敏感期

第4章 単語の意味の発見——生後9〜17ヶ月
 切り分ける、組み立てる
 仕事中のコドモ
 ジグソー・パズルの断片を組み立てる
 小さな断片の問題
 識別と理解
 同一対象の再発見
 熟知した単語の識別
 単語の心的表象
 単語の理解

第5章 語彙への歩み——生後11〜18ヶ月
 単語と指示対象
 外部世界とコドモ
 コドモは物理学者か
 モノと言葉
 始語
 試行錯誤
 心内辞書は2つ?
 最初の語彙の構成

第6章 コドモそれぞれのスタイル
 みんな似ている、みんなちがう
 エミリーとショーン、ティミー——最小労力戦略
 シモン、レオ、マリー——会話の魅力
 シャルルとノエル、その他のコドモたち——中間の道
 アンリ——急がば回れ
 選択するのはコドモである

第7章 言語、文化、コドモ
 言語能力と社会化
 文化環境と始語
 フランス・アメリカ・スウェーデン・日本の
                コドモの会話の主題
 フランスのコドモの快楽主義
 アメリカのコドモの実用主義と社交性
 スウェーデンのコドモの行動意欲
 日本のコドモの美的感覚
 しかし世界中のすべてのコドモが……

第8章 始語から言語へ——18〜24ヶ月
 新しい段階
 語彙の爆発
 音韻論の発見
 大脳反応の再編
 最初の文
 フランスのコドモの最初の文

結論


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