2010年6月1日火曜日

kinokuniya shohyo 書評

2010年06月01日

『聖なる家族−ムハンマド一族』森本一夫(山川出版社)

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 本書の目標とからめて著者、森本一夫は、つぎのように読者に問いかけている。「信徒の平等を標榜する宗教であると聞くイスラームに、どうやら特別な宗教 的意味をもつ一族が存在するらしいことに興味を惹かれはしないだろうか。もし答えが「イエス」であるならば、ぜひこの本を読み進めてみてほしい。というの も、この一族のなんたるかを解き明かすことこそが、この小さな本の目標だからである」。

 本書は、まえがきにあたる「聖なる家族を知る意味」と4章、そして、あとがきにあたる「ムハンマド一族研究の将来に向けて」からなる。4章の概略は、ま えがきにあたる部分の最後にある。「まず、歴史や地域を縦横に横切りながら、この「聖なる家族」に属したさまざまな人びとを紹介する(第1章)。ここに登 場する多様な人びとの姿をつうじて、「聖なる家族」がどこにでもいるというその意味をつかんでいただければと思う。ついで、「聖なる家族」成立の歴史を振 り返る(第2章)。ムハンマド一族というような考え方はどこから出てきたのか。ムハンマド一族とされる人びとの範囲はどのようにして決まったのか。ムハン マド一族はいつ頃から各地にみられるムスリムに身近な存在となったのか。こういった問題を考えてみよう」。

 「続けてあつかうのは、「聖なる家族」にたいする特別扱いのあり方である(第3章)。「聖なる家族」も、なにもしなければ皆から敬われるとは限らない。 彼らの特殊性を訴える言説が再生産されつづけ、それを固定化する制度が作動しつづけることが、彼らの地位の維持に重要な意味をもってきた。そうした言説と 制度にはどのようなものがあったのかをみてみたい。そして最後には、この「聖なる家族」が現在ではどこにでもみられる存在となった理由を解き明かす(第4 章)。なかでも注目するのは、「血統」の社会性をあますところなく示す現象、すなわち、本来はムハンマド一族でもなんでもない人びとが、いつのまにかそう なっていった仕組みである」。

 海域東南アジアには、イスラーム諸国中最多のイスラーム人口2億以上を抱えるインドネシアがあるが、口述を含め多くの系図が残されている。流動性の激し い海域社会にあって、自分が何者であるかを示すことのできる系図は、死活問題になることさえある。系図を語れないことは、奴隷出身であることを示すことに なるからである。その系図のなかには、イスラーム教徒であれば、ムハンマドに通ずるものがある。アレクサンダー大王やチンギス・ハンに通ずるものもあれ ば、バスコ・ダ・ガマなどポルトガル人やスペイン人、中国人や日本人漂着民に遡ることができるものもある。インドを通じてイスラーム化した東南アジアの人 びとは、インド人の系図にムハンマド、アレクサンダー大王、チンギス・ハンが登場することから、それを引き継いだともいわれる。では、ヨーロッパ人や中国 人、日本人は、どう解釈したらいいのだろうか。人口密度の低かった海域東南アジアでは、対人関係を重視して、よそ者を新しい知識や技術をもたらす有益な人 びととみなし、自分たちの社会に招き入れた。その証しとして、系図に組み込まれた。血統とは違う論理が、そこにはある。

 本書で語られている「血統と世論」も、人びとが認めればいいということになる。事実よりも、どういう社会をつくるかが重要となる。しかし、受け取り手が 多数になる年金と免税の特権がムハンマド一族にあることは、国家としては財政的に重い負担となる。それだから、著者は、「少しずつムハンマド一族たちにた いする理解、それをつうじたムスリム諸社会やイスラームにたいする理解、ひいては人間にたいする理解を深めていきたい」という。

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