批評の解剖 [著]フライ
[掲載]2010年6月 13日
- [筆者]筒井康隆(作家)
■理論武装し自身の道模索
ぼくが書いてい るスラップスティックSFに対して無理解な批評が多く、だからといって反論できるような批評言語を駆使できるわけもなかったので、ぼくは理論武装すること にした。ちょうどペンクラブの大会が一九八四年、日本で開かれることになり、これに出席したぼくは評論家の巽孝之と夕食した折、何かいい文学理論の本はな いかと訊(たず)ねた。SFに詳しい彼はたちどころにぼくの意図を察したようで、この本を薦めてくれたのだった。法政大学出版局から出たこの本はウニベル シタスという叢書(そうしょ)の一冊で、以後ぼくはこの叢書の本を次つぎに読むことになる。
『批評の解剖』はぼくにうってつけの入門書だった。特に最初の歴史批評と名づけられた、文学の様式の変遷に関する理論は、ぼく に我が意を得たりと思わせたのだ。なぜなら現代の文学作品の主人公は、まさにSF的な諷刺(ふうし)やアイロニーに満ちた物語の主人公でなければならぬと いう結論になっていたからである。歴史的に順を追うならば、最初は神話の時代である。神話しかない時代があって、この場合の主人公はもちろん神様だから、 人間や環境よりも優れている。次いで恋愛小説や冒険小説の時代が来る。この時代の主人公は普通の人間や環境よりも少しだけ優れている、つまり英雄的な人物 である。次が悲劇の時代で、この主人公は英雄的ではあるものの環境に負けてしまう。それからリアリズムや喜劇の時代が来る。これは主人公が周囲の人間や環 境より優れても劣ってもいない場合であり、ぼくも書き、現代多く書かれている小説はたいていこれだと言えるだろう。次に来るのが諷刺やアイロニーの時代で あり、この場合の主人公はもはや読者が見下すような、普通の人間より劣っている人物である。これこそまさにぼくの書いているドタバタSFの主人公たちなの であり、現代文学の最前線を見ればこのような人物がいかに多く登場することだろう。
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ではいったいその次にはどんな文学が来るのだろうか。一方で牧師でもあるフライは、また神話に回帰するだろう、そしてその兆候 はカフカやジョイスやSFの隆盛などにも見られると言っている。ああ。またしても神話だ。そして日本の小説が多く「物語元型」や「神話素」に、つまり同じ ような神話に向(むか)っていることはこの時代の日本文学を見れば明らかだったのだ。石川淳『狂風記』、大江健三郎『同時代ゲーム』、井上ひさし『吉里吉 里人』、丸谷才一『裏声で歌へ君が代』などがそうである。これらの作品に対するぼくの高い評価は、ちっとも間違っていなかったのだ。
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フライはまた「原型批評 神話の理論」の中で「神話は文学的な構想の一方の極だし、自然主義はもう一方の極だ」と言っている。 「ましな頭の人間なら、現実そっくりという尺度を捨てて、造られたもの自体を楽しむだろう」とも言っている。すべてぼくが考えていたことだったから、以後 ぼくは難解なテクニカル・タームによる批判に幻惑されることなく、自分自身の道を模索することになる。
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海老根宏・中村健二・出淵博・山内久明訳で1980年、法政大学出版局から刊行。
- 批評の解剖 (叢書・ウニベルシタス)
著者:ノースロップ・フライ
出 版社:法政大学出版局 価格:¥ 6,300
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- 同時代ゲーム (新潮文庫)
著者:大江 健三郎
出 版社:新潮社 価格:¥ 820
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- 吉里吉里人 (上巻) (新潮文庫)
著者:井上 ひさし
出 版社:新潮社 価格:¥ 700
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