2010年6月5日土曜日

kinokuniya shohyo 書評

2010年06月04日

『空と海』アラン・コルバン(藤原書店)

空と海 →bookwebで購入

「空と海をめぐる感性の変化の歴史」

 ちょっと見にはバシュラールの著書のようだが、精神分析ではなく、感性の歴史である。『においの歴史』と『浜辺の誕生』の著書のあるアラン・コルバンの お手のものだろう。とくに「海」に関しては、『浜辺の誕生』で積んだ学識が巧みに生かされる。

 この書物がターゲットとするのは、ル=ロワ=ラデュリューの『気候の歴史』のような経済学的、社会的、生態学的な視点による考察ではなく、「文化史の一 要素、つまり表象と評価の社会的形態をめぐる歴史の一要素」(p.14)である。

 「空」については、気候一般と雲が重要なテーマだ。ある時期からイギリス人が、気候の変化が身体や感情に及ぼす影響に敏感になり、それを日記など に克明に記録し始めたという。「この記録は自己を語るエクリチュールの芽生えと繋がり、土地の歴史をつづり、フランスやイタリアで書かれていた家事日誌に 似た一種の欲望と結びついていた」(p.10)らしい。

 そしてバークやカントが導入した「崇高な美」という概念に依拠して、「雷雨、嵐、暴風雨、竜巻、大渦潮、雪崩、氷河などを前にした時に覚える情動 の新たな布置」(p.32)が誕生することになる。登山の流行や気球の発明なども、高所についての新たな経験を生み出したのだった。「悪天候の中でこそ主 体が誕生した」(p.36)というのは大袈裟でも、「気象の変化と密接に関連した内面化の作業がおこなわれた」(同)のはたしからしい。

 またイギリスのロマン主義者たちは、海にさまざまな想像力をかきたてられたようだ。海は旧約聖書の怪物レビアタンの住家であり、パウロが航海した 地中海は「神学的な海」(p.69)という性格を帯びる。浜辺は娯楽と治療の場となり、海辺の光景は新しい絵画と文学を生む。そして自然神学は、「その楽 天主義によって、海辺への欲望が復活する要因になった」(p.79)のである。

 海水は、人々に驚きを与えた。「飲めないものなのに、海水は魚を生かし、古代以来認められてきた治療効果をもっている。しかも〈白い黄金〉たる塩 は、食物の基本要素の一つである」(p.108)という理由からだ。さらに人間の体液に含まれる塩分が、海水の塩分とほぼ等しいことが明らかになると、人 間はその「存在の中に母体的な要素を内包している」(p.109)と考えられるようになり、詩人たちにインスピレーションを与えた。

 教会で使われる聖水は、洗礼の水とは違って塩水であり、それは「悪の勢力を駆逐する力をもらたす」(p.123)と信じられていた。「塩は霊的な 健全さを付与し、聖体以前の最初の糧である」(同)とされたのである。

 このように空と海をめぐって、気象と水と塩をめぐって、コルバンはさまざまな歴史的な伝説、文学、絵画などを取り上げて、その感性的な変化の歴史 を追う。この方法であれば、ギリシア神話や旧約聖書から、現代の作品にいたるまで、素材は無尽蔵である。著者はいかにも楽しそうなので、ぼくもつい誘惑さ れる(笑)。

【書誌情報】
■空と海
■アラン・コルバン著
■小倉孝誠訳
■藤原書店
■2007/02
■200p / 20cm / B6判
■ISBN 9784894345607
■定価 2310円


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