明治廿五年九月のほととぎす—子規見参 [著]遠藤利國
[掲載]2010年5月30日
- [評者]中島岳志(北海道大学准教授・南アジア地域研究、 政治思想史)
■1 日1句、25歳の子規と日本
柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺
松山や秋より高き天守閣
正岡子規の写実的な俳句・短歌はわかりやすく、魅力的だ。彼は明治初期に「ベースボール」が紹介されて間もないころの愛好者で もあり、野球用語の多くを日本語に訳した人物としても知られる。
そんな彼が明治25(1892)年9月から1年にわたって付けていた日記がある。
『獺祭(だっさい)書屋日記』。
彼は1日1句、時には簡単な消息を付して、日記を書き続けた。本書は、この子規の1年間を丁寧に追いかけ、彼の俳句と共にその 時代を活写する。
子規の生まれは慶応3年。翌年が明治元年であるため、明治の年号は子規の年齢と重なる。
つまり明治25年は、子規が25歳の年。彼にとっては東京帝国大学を中退し、陸羯南(くがかつなん)が社長をつとめる新聞『日 本』の記者となった転換点の年だ。著者は、子規が新聞記事を書くための訓練として、自己に課したのがこの日記の執筆だったのではないかと推測する。
「25歳」を迎えた子規と明治日本。両者共に青年期を終え、自らの足で一歩ずつ前へ進もうとしていた。
ただ、子規には大きな不安があった。健康の問題である。
彼は結核を患い、34歳でこの世から去ったが、このころから体調は思わしくなく、時に長期間、病床に伏すことがあった。しか し、彼はその短い生涯を実にさわやかに生き抜き、多くの業績を近代日本に残した。
子規はこの年、『日本』紙上で「獺祭書屋俳話」の連載を行い、俳句の革新運動をスタートさせた。彼は俳句によって当時の世相を たくみに切り取り、俳壇を人気コーナーに押し上げた。
子規の俳句時事評は、明治半ばの日本の政治情勢や社会、そして人々の生活を見事に描き出している。そのユーモアたっぷりの俳句 は、子規の才能の豊かさと懐の深さを余すところなく伝えている。
本書は、子規の1年を緻密(ちみつ)に描くことを通じ、明治中期の日本をいきいきと描いている。爽快(そうかい)な読後感が得 られる一冊だ。
◇
えんどう・としくに 50年生まれ。翻訳家。訳書に『戦略の歴史』など。
- 明治廿五年九月のほととぎす—子規見参
著者:遠藤 利國
出 版社:未知谷 価格:¥ 3,360
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