2012年7月31日火曜日

kinokuniya shohyo 書評

2012年07月29日

『鷗外の恋 舞姫エリスの真実』 六草いちか (講談社)

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 昭和8年に森於莵が父親のドイツ人の恋人の存在をおおやけにして以来つづいていた『舞姫』のモデル探しに終止符を打った本である。

 著者の六草いちか氏はベルリンに20年以上在住するジャーナリストで、リサーチの仕事もしているという。行きつもどりつした調査の過程が書かれて いるが、まさにプロの仕事で、次々とくりだされる的確な背景情報に圧倒された。的確な背景情報を一つ書くにはその十倍、いやそれ以上の知識が必要になるこ とを考えると気が遠くなってくる。リサーチのプロが本気になると、ここまで調べることができるのである。

 六草氏がつきとめたエリスはフルネームをエリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルトといい、1866年9月15日にシュチェチン(現在はポーラ ンド領)で生まれた。2歳下のアンナという妹がいる。1898年から1904年まで帽子製作者としてベルリン東地区に在住したことが確認されており、小金 井喜美子が鷗外からの伝聞として記した「帽子会社」に勤めているという内容と矛盾しない。

 父ヨハン・フリードリヒ・ヴィーゲルトは1839年オーバヴィーツコ生まれで、フリードリヒと呼ばれていた。ブランデンブルク第三輜重大隊に勤務した後、ベルリンで除隊。そのままベルリンにいついて銀行の出納係となったが、1882年頃に亡くなっている。

 母ラウラ・アンナ・マリー・キークヘーフェルは1845年シュチェチン生まれで、マリーと呼ばれていた。ベルリンに出てお針子をしていた頃にフ リードリヒと知りあい、エリーゼを身ごもってからガルニゾン教会で結婚式をあげた。エリーゼの生地がシュチェチンとなっているのは実家にもどって出産した からだと考えられる。夫と死別したマリーは仕立物師として娘二人を育てあげた後に再婚している。

 鷗外と知りあった頃、エリーゼは20歳か21歳だった。『舞姫』の決定稿ではエリスは「十六七なるべし」となっているが、草稿には「まだ二十にはならざるべし」とあり年齢的にも矛盾はない。

 母マリーは自分名義で部屋を借りているので中産階級の暮らしを営んでいたと推定されるが(ベルリンでは入居審査が厳しく又貸しが多かった)、財産 のない母子家庭では日本までの旅費の工面が問題となる。日本までの船賃は一等船室1750マルク、二等船室1000マルク、三等船室440マルクで、エ リーゼは一等船室で来日している。陸軍が鷗外に支給した一年間の留学費が当初1000円(4000マルク相当)だったことを考えると、1750マルクはか なりの額である。

 六草氏は鷗外には翻訳の副収入(原稿用紙1枚で12マルク程度)があったので十分可能だったとし、傍証として一等船室を選んだことをあげている。 当時は一等も二等も個室だったから、エリーゼが自分で船賃を出したなら二等船室にしたはずだというのである。彼女は鷗外と結婚して日本に永住する覚悟で出 国しただろうから、異国の生活にそなえるために倹約すると考えるのが自然だろう。一等船室は鷗外が花嫁のために奮発した可能性の方が高そうである。

 根強く唱えられているエリスのモデルがユダヤ人だったという説にも六草氏はありえないという答えを出している。

 エリス=ユダヤ人説はかなり以前からあったらしいが、一般には1989年にテレビ朝日系列で放映された「百年ロマンス・舞姫の謎」で知られるよう になったようだ。番組ではエリスのモデルはエリーゼ・ヴァイゲルトという鷗外より5歳年上のユダヤ系の人妻であり、鷗外と不倫関係にあったとしている。名 前が似ているというだけで作中のエリスとは似ても似つかない年上の人妻との不倫説には批判が多く、アンナ・ベルタ説の植木哲氏がドイツで実証的調査を開始 するきっかけともなった。

 こうした説が根拠とするのはヴィーゲルトもしくはヴァイゲルトという姓がユダヤ人の姓だという根拠の曖昧な断定だが、実際はどうなのか。六草氏は驚くべき材料を持ちだして決着をつけている。1939年にナチスがおこなった例の国勢調査である。

 この国勢調査はユダヤ人をリストアップするために行なわれたもので、四人の祖父母についてユダヤ系かそうでないかを記録するようになっていて、 1/2ユダヤ人とか1/4ユダヤ人という判定ができ、1941年からはじまったユダヤ人強制収容に威力を発揮した(その際活躍したのがIBMのパンチカー ド・システムで、エドウィン・ブラックの『IBMとホロコースト』に詳しい)。

 まさかと思ったが、その時のデータのうち、ユダヤ人とユダヤ人と同居していたドイツ人60万人分が保存されており、制限つきだが検索可能な形で閲覧できるというのである。

 60万人のうちヴィーゲルト姓は3世帯7人いたが、2人はユダヤ系女性と結婚した非ユダヤ系男性だった。生存者が一人もいないということで六草氏 は特別に生データの閲覧を許されたが、ユダヤ系の5人もユダヤ系なのは父方の祖母か母方の祖父母に限られ、父方の祖父がユダヤ系という例は一人もいなかっ た。ヴィーゲルトという姓はユダヤ人の姓ではないのである。

 ヴァイゲルト姓はドイツ全土で52人、ベルリン市内で29人いた。ヴァイゲルト姓を伝えるユダヤ人がいたのは確かだが、典型的なユダヤ姓かどうか を判定するためにナチスが政権をとる以前の1930年の電話帳と、ユダヤ人の強制収容がはじまって以後の1943年の電話帳の比較をおこなっている。ヴァ イゲルト姓は58世帯から34世帯に減っているが、典型的なユダヤ姓とされるコーンが1300世帯から28世帯に激減していることを考えると「ヴァイゲル ト姓の中にはユダヤ人もいた」と言えても「ヴァイゲルト姓はユダヤ姓である」とは言えないという結論になる。

 エリスの住んでいた地区がゲットーだったという説についてはベルリンにはそもそもゲットーはなかったと一蹴している。

 エリスと豊太郎が出会った「クロステル巷の古寺」がガルニゾン教会だと判明する経緯もドラマチックだが、本書で一つ引っかかっていることがある。六草氏がエリス探しをはじめるきっかけとなったM氏のことである。

 射撃練習の後の会食で鷗外と『舞姫』の話題が出たおり、M氏というドイツ人が発した「オーガイというその軍医、その人の恋人はおばあちゃんの踊り の先生だった人だ」という言葉が本書のエリス探索のはじまりだったが、当該人物はエリーゼが来日した1888年生まれだったことがわかり不発に終わる。

 六草氏とM氏のやりとりを読んでいるとM氏の発言はきわめて具体的であり、口から出まかせを言っているようには思えないのだ。もしかすると第一次 大戦前夜にベルリンに留学した日本人軍医が踊り子と恋に落ちるという、『舞姫』を地でいくような出来事があったのだろうか。その頃には『舞姫』は広く読ま れていたわけで、軍医は物語に影響されて踊り子に近づいたのかななどと空想してしまう。M氏の話の真相が知りたくなった。

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