2012年7月31日火曜日

kinokuniya shohyo 書評

2012年07月28日

『鷗外外の恋人 百二十年後の真実』 今野勉 (NHK出版)

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 2012年11月19日、NHK BSで「鷗外の恋人~百二十年後の真実~」というドキュメンタリ番組が放映された。本書はその書籍版である(DVDも出ている)。

 著者の今野勉氏は番組をNHKと共同製作したテレビマンユニオンのプロデューサーで、鷗外を主人公にしたTVドラマ『獅子のごとく』を製作して以来、エリス問題に関心があったとのこと。

 番組は植木哲氏のエリス=アンナ・ベルタ・ルイーゼ・ヴィーゲルト説にもとづいているが、植木説には以下のような難点があった。

  1. 船客名簿の名前(エリーゼ)と異なる
  2. 15歳の娘を船旅で40日もかかる日本へ一人で行かせたのはおかしい
  3. アンナ・ベルタが相続した財産が容易に現金化できるか不明
  4. 状況証拠だけで、エリーゼがアンナ・ベルタだという決め手がない

 番組では第一の難点については当時はドイツを出国するにも日本に入国するにもパスポートもビザも不要であり、船の切符は偽名でも買えることを明らかにした。

 第二の難点についてはアンナ・ベルタの両親はカトリックとプロテスタントの結婚であり、出身地も境遇も違うので、周囲の反対を押し切って結ばれた可能性が高い。そうであれば娘の東洋人との結婚にも寛容だったはずだとしている。

 第三の難点についてはアンナ・ベルタの祖父は十数世帯の住む賃貸ビルのオーナーだったので、日本までの船賃は二ヶ月分の家賃でまかなえるとしている。

 第四の難点については鷗外が残したエリスの唯一の形見の品であるモノグラム(刺繍用型金)のクロス・ステッチの部分にアンナ・ベルタ・ルイーゼのイニシャルであるA、B、Lが隠されているとしている。

 番組を見て植木説はいよいよ確定かなと思ったのであるが、放映と同じ月に出版された本書を読んで目が点になった。モノグラムからA、B、Lの文字 が浮かびあがるという「発見」をドイツ人の専門家に確認する場面が番組のクライマックスになっていたが、本書には画面に映らなかった取材の経緯が書かれて いたのである。

 一方ベルリン市立博物館の「服装と流行課」からの返事は、予想外のものだった。……中略……クロス・ステッチの部分については、次のような返事であった。

「たしかに、M・R、A・B・L・Wは読みとれますが、型金を逆向きにしたりして、さまざまの方向から眺めれば、すべてのアルファベットの読みとり ができます。このような型金はかなり自由に使いまわしが利くものなので、特別なアルファベットが隠されていたとは言いがたいと思います。
 刺繍にこめたメッセージや、恋人のハンカチにモノグラムを縫いつけるといった習慣は、どちらかというと十九世紀初期に流行したものです。ちょうど一八〇 〇年から四〇年までのロマン主義の時代にあたります。一九世紀後半に差しかかると、布類へのイニシャル刺繍は日常的なことになってきます。」

 この返事に、私の血は少々逆流気味になった。どんな文字でも読みとれる、とは、いくらなんでも乱暴すぎる話ではないか。

 乱暴すぎる話と言いたいのはこちらである。唯一の物証が怪しくなったら、今野氏の推論は全部崩れてしまうではないか。そもそも15歳の少女が無名の元留学生に会いにゆくのに、なぜ偽名で出国する必要があったのか。

 本書が出て四ヶ月後、エリスの身元について決定的な発見をした六草いちか氏の『鷗外の恋 舞姫エリスの真実』が上梓された。六草氏がつきとめたエリスはエリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルトといい、1866年生まれ。アンナという妹がいた。来日時点で21歳だったから植木説のような難点はない。

 本書は気の毒な本である。出版が一年遅れていたら六草説をもとにすることができたろうし、一年早ければ六草氏の本とガチに比較されることもなかったろう。

 今野氏にはこれに懲りずに、鷗外関連の番組をこれからも作ってもらいたいと思う。

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