2012年7月31日火曜日

kinokuniya shohyo 書評

2012年07月31日

『気楽に殺ろうよ』藤子・F・不二雄(小学館文庫)

気楽に殺ろうよ →bookwebで購入
「脱常識トレーニングのためのSFマンガ 」
社会学は、よく脱常識の学問だと言われる。人々が「当たり前」のものとして自明視してきた考え方が、決して「当たり前」のものではないということ、すなわち、社会的、歴史的な背景をもって形作られてきたものであることを解きほぐしていくことを得意とする学問である。
たとえば「自分という存在は、自分だけでなく、他者との関わり合いの中で存在している(=社会的自己)」、あるいは「男女の性差は、生物学的にだけでなく、むしろ社会的に作られてきたものである(=ジェンダー)」といった基本的な概念を見ても、そのことがよくわかる。

 だから社会学は、SFと相性がいい。空想の世界では、「当たり前」の常識から遠く離れることができるし、反実仮想的な作品の中では、新しい常識に基づいた社会のありようについての思考実験をすることができる。

 一方で、だからこそ、社会学もSFも敷居の高いものでもある。

 「○○さんは常識のある人だ」といった物言いが、しばしば肯定的な意味合いで語られるように、常識を疑ってかかるようなふるまいは、ごく普通の日常生活を送る中ではなかなかやりにくい。

 大学に入学したばかりの若者たちも、常識にがんじがらめになっていて、「常識破壊ゲーム」としての社会学的な思考を植え付けようと思っても、大いに苦労する。ましてや、そんな最中に、わざわざ重厚なSF作品を読もうという気にはならないだろう。

 そんなふうに、ふと日常の常識を問い直したくなった時、(あるいは私ならば)初学者にそのことを教え疲れた時に、ぜひ読みたいのだが、藤子・F・不二雄のSFシリーズマンガである。

 藤子氏は、ドラえもんなどの作品で知られた漫画家だが、著名な作品群とともに(あるいはおそらくこうした作品を生み出す背景として)、短編のSFマンガ をいくつも記している。今日でも複数のシリーズが刊行され、文庫化もされているので、コンパクトに読み進めることができる。

 その多くは、私が生まれた頃かその前に書かれたような作品である。だが私は、幼いころから兄の本棚から拝借して繰り返し読み、今でもほとんどのシリーズを買いそろえて、事あるごとに読み返しているほどのお気に入りである。

 中でも特にお勧めしたいのは、独特な作品が集められた『藤子・F・不二雄[異色短編集]2 気楽に殺ろうよ』である(やはり、本書も含めて、早い段階に描かれた作品に傑作が多いように思われる)。

 表題作にもなっている、「気楽にやろうよ」はなかなかショッキングな作品だ。ある男性が何気ない月曜日の朝に、激しい衝撃を受けるとともに、見た目はほ とんど変わらないのだが、少しだけ常識の異なったパラレルワールドに巻き込まれてしまう。そこでは、性欲と食欲のとらえ方が逆転していて、前者をオープン に、後者を恥ずべきもの(カーテンを閉め切って静かに食事をし、外食などありえない)にとらえていたり、また殺人についても権利書を持てば合法的に行うこ とができるのだという。

 この男性は、カウンセリングを受けることになるのだが、そこでは「いっさいの常識とか固定観念なんかをすて」ることを求められ(P236)、自分がこれ まで持ち合わせてきた常識からはかけ離れているその社会であっても、それはそれで成り立っていることを、諭されていくことになる。

 物語にはその先もあるのだが、このように常識を一歩引いた視点から見直し、さらに、自分の常識とはかけ離れていても成立する社会が存在することを理解するプロセスは、まさに社会学的思考の基本中の基本とも言えるものである。
さて、あまりにも著名すぎる漫画家の、よく知られた作品を、いまさらに取り上げるのには、もちろん理由がある。

 それは、現在の日本社会が、まさにこれまでの常識を見なおしながら、新しい社会のありようを真剣に考え直さなくてはならないタイミングに来ているからだ。脱原発問題しかり、社会保障問題しかり、である。

 これらの問題に共通しているのは、小手先のごまかしがきかず、我々の常識を塗り替えつつ、社会のあり方を根本から問い直していくような徹底的な対策が必要ことだ。

 その一方で、諸々の重大な問題が山積しつつあるにもかかわらず、社会全体を巻き込んでいくような関心の高まりが見られない現状にはやや危惧を覚えざるを得ないところもある。

 この点は、同じく本書に収められた「大予言」というごく短い作品が趣深い。著名なタロット占い師が4〜5年越しの重いノイローゼにかかり、なにか重大な未来を予知したかららしいと聞きつけた弟子が面会に行くという作品である。占い師は、弟子の問いかけにこう答える。

「予知?わしはなにも予知なんかせんぞ!!
「自分たちの滅亡を予言されて。平気な顔をしてられるみんながこわい!」
「有効な対策もないくせにさわごうともわめこうともしない世界人類がこわい!!」
(P34〜35)
「明日をも知れぬ命の日本社会」というのは大げさかもしれないが、ともすると福島第一原発事故の記憶が薄れかねない昨今の状況を見ると、この作品中の占い師の恐怖や危惧がわが身のことに感じられるといっても過言ではない。

 だがマンガには結末がある一方で、やはり我々は連綿と続いていくこの社会の未来を考え続けなければならないだろう。その際に、常識を問い直す社会学的な思考の重要性は間違いなく高まっている。

 その際に、社会学という学問世界や、あるいは重厚なSF作品では敷居が高すぎるなら、作者が遺した言葉に倣って「すこし不思議(Sukoshi Fushigi)」なマンガからトレーニングを積み重ねていくというのも、大いにお勧めしたいところである。


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