2012年7月31日火曜日

kinokuniya shohyo 書評

2012年07月27日

『森鷗外 「我百首」と「舞姫事件」』 小平克 (同時代社)

森鴎外「我百首」と「舞姫事件」 →bookwebで購入

 難解をもって知られる鷗外の「我百首」を「舞姫事件」を解読格子に読みとこうという試みである。本書でいう「舞姫事件」とはエリスのモデルと考えられるエリーゼ・ヴィーゲルトの来日事件だけでなく、最初の妻赤松登志子との結婚と離婚を含む二年にわたる騒動をさす。

 著者の小平氏は本書の前年、『森鷗外論 「エリ-ゼ来日事件」の隠された真相』 においてエリーゼが金目当てに押しかけた「路頭の花」などではなく、鷗外が陸軍を辞めてまでも結婚しようと思いつめた「永遠の恋人」であり、『舞姫』とそ の前後の作品のみならず、二十年以上後に書かれた『うた日記』、『青年』、『雁』、『ヰタ・セクスアリス』にも面影が書きこまれているとした。

 本書はそれにつづく論考で、従来定まった解釈がなく、一貫したテーマがあるのかどうかもわからなかった「我百首」がエリーゼ来日にはじまる一連の 「舞姫事件」を歌いこめたものだとしている。これが当たっているとしたらエリーゼをめぐる六草いちか氏の発見に匹敵する発見かもしれない。

 「我百首」は明治42年(1909)5月に発行された『昴』第五号に掲載された連作短歌である。もともと『昴』の同人十名が短歌百首を発表すると いうのは創刊号で予告された企画だったが、実際に百首を寄せたのは鷗外と與謝野鐡幹、與謝野晶子の三人だけだった。百首という限定が内発的なものでない以 上、それまで書きためた短歌を集めただけかもしれず、そうであれば一貫したテーマがあるという前提そのものがゆらいでくる。

 しかし鷗外は『沙羅の木』 に「我百首」を収録するにあたり、序で「あれは雑誌昴のために一氣に書いたのである」と述べている。石川淳が「「倅に持つても好いやうな」異邦人におどろ くことができた詩人の若さの歌である」と評したように、「我百首」は短歌に新風を起こそうとした意欲作であり、百首をつらぬくテーマがあると見るのが妥当 であろう。

 「我百首」のテーマは「舞姫事件」だというのが本書の仮説だが、エリーゼを暗示するような決定的な歌はあるのだろうか。

 第26首は

(26) すきとほり眞赤に強くさて甘きNiscioreeの酒二人が中は

となっており(以下、行頭に歌の番号をつけて引用する)、これまで「Niscioreeの酒」がなにかは不明だった。小平氏は検索でその典拠がイタリアの作家Antonio Fogazzaroの"Piccolo mondo antico" (1895)であることを発見した。"Piccolo mondo antico"は『昔の小さな世界』というほどの意味だが、望月紀子氏によると両親を亡くして侯爵夫人である祖母に育てられた主人公フランコが、祖母の反 対を押し切って密かにルイーザと結婚式を挙げたときの祝杯の酒が「ルビーのように赤く澄み、美味で強いNiscioreeのワイン」と記されているとい う。

 問題は鷗外が読んでいたかだが、東大のopacで検索したところ、

Die Kleinwelt unserer Zeit : Roman / Antonio Fogazzaro ; Einzige berechtigteUbersetzung aus dem Italienischen von Max von Weissenthurn

という独訳本がまさに鷗外文庫に所蔵されていた! Niscioreeの酒の典拠は確定である(もしかしたら、これも文学史的発見?)。

 つづく第27首から第33首にはともにNiscioreeの酒を飲んだ相手の女性が描かれている。

(27) 今来ぬと呼べはくるりとこちら向きぬ回転椅子に掛けたるままに

(28) うまいより呼び醒まされし人のごと円き目をあき我を見つむる

(29) 何事ぞあたら「若さ」の黄金を無縁の民に投げて過ぎ行く

(30) 君に問ふその脣の紅はわが眉間なる皺を熨す火か

(31) いにしへゆもてはやす徑寸わたりすんと云ふ珠二つまで君もたり目に

(32) 舟ばたに首を俯して掌の大さの海を見るがごとき目

(33) 彼人は我が目のうちに身を投げて死に給ひけむ来まさずなりぬ

 第27首、回転椅子は当時の日本家屋にはまず見られない。洋館か西洋人向けのホテルの室内の情景と考えるべきだろう。第28首、「円き目をあき我 を見つむる」はぱっちりした大きな目を思わせる。第31首の「珠二つまで君もたり目に」も日本人離れしたつぶらな瞳を指しているのだろう。

 第29首、「「若さ」の黄金」は金髪の美貌を連想させるが、その若々しいまぶしさを「無縁の民に投げて過ぎ行く」とは西洋人の娘が日本の町を散策する姿か。第32首と第33首は一転して悲劇的な色彩がきざしてくる。

 というわけで第26首から第33首は日本におけるエリーゼを描いたという読み方で間違いないと思われる。

 では登志子夫人との結婚生活を暗示する歌はあるのか。

(36) 接吻の指より口へ僂かがなへて三とせになりぬ吝やぶさかなりき

(37) 掻い撫でば花火散るべき黒髪の繩に我身は縛られてあり

 第37首が金髪の西洋女性に対する黒髪の日本女性の嫉妬を詠んでいることは見やすい。問題は第36首だが、小平氏の評釈をそのまま引こう。

 本歌は曲亭馬琴の『椿説弓張月』にある「僂指かがなへ 見れば、いで給ひしより、すでに三箇月に及び」という用例をふまえて作られている。この用例の「僂指」と「接吻の口」を結び合わせて「接吻の指より口へ僂 へて」という表現になったもので、エリーゼに接吻してもらった指を口にかがませてはや三年になったのはくやしいというのである。

 とすれば、エリーゼと離別して三年後の心境を詠んだものということになる。三年毎は丸三年であれば明治二四(1891)年、足掛け三年であればそ の前年の明治二三(1890)年である。どちらかといえば後者であろう。この年に於莵が生まれ、登志子と離婚しているのである。

 これ以上詳しい解釈は本書に直にあたっていただこう。

 第25首の「一星の火」の解釈など、いくつか引っかかるところはあるが、本書の「我百首」の読みが画期的であることは誰しも認めるところだろう。

 ここで疑問に思う人がいるかもしれない。いくら百首詠む機会があたえられたにしても20年以上前の事件を蒸し返すのはなぜなのかと。鷗外はそんな女々しい男ではないという反撥も当然あるだろう。

 著者はその答えも用意している。「我百首」を発表した明治42年の鷗外は公私ともに「舞姫事件」以来の人生の危機に直面しており、しかも圧力をかけてきた人物が「舞姫事件」の時と同じだったというのである。

 啞然とするが、確かにそうなのだ。さすがに今回は離別の圧力ははねのけたものの、鷗外は21年前と同じような四面楚歌の状況にいたのだ。「我百首」は公私にわたる憤懣を観念的に消化しようとした実験作だったと考えていいだろう。

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