奔放な帝王、克明に 小松茂美の遺作『後白河法皇日録』
[掲載]2012年07月04日
公家から武家へ、変革期の帝王・後白河法皇(1127〜92)の生涯を、同時代の貴族の日記など記録でたどった『後白河法皇日録』が刊行された。一昨年、85歳で亡くなった古筆学者の小松茂美が晩年に手がけていた遺作。法皇の起伏に富んだ66年の日々に、興味つきない。
平安から鎌倉期の文献や名筆の断片から、当時の政治や文化を学際的に研究するのが古筆学だ。「古今東西、胎児の頃から死までの記録が後白河ほど詳しく残る 帝王はいない」と生前、小松は語っていた。そもそもは1999年、「梁塵秘抄」の断簡が新しく見つかり、後白河法皇の自筆かどうか鑑定するために法皇自身 を調べ始めたのだ。
NHK大河ドラマ「平清盛」でも重要な役割をしめる後白河は、鳥羽天皇の第四皇子で、天皇になる目はなく、当時のポップミュージックといえる今様に没入。ところが数え年29歳で天皇、32歳で上皇になり、院政を敷いて「梁塵秘抄」を編集。
藤原頼長の「台記」を始め当時の貴族が残した数十の日記、朝廷の記録などから後白河に関係する部分を選び、日ごとに並べる。単純そうだが、日記は全部漢文 で、人物は官職だけしか書いてない。官位の記録である公卿補任(くぎょうぶにん)で人物を特定し、独自に生没年表を作って年齢も加えた。
下々を 招き入れて博奕(ばくち)に入れあげ(1168・5・11)、捕まった強盗を御所に召して盗みの秘術を聞き出す(1178・12・25)後白河は、摂政の 藤原兼実が訪れても「双六(すごろく)に夢中」で待ちぼうけを食わせる(1186・3・28)。兼実は、日記「玉葉」でたびたび後白河を糾弾。「嬰児(え いじ)の如(ごと)き無防備、禽獣(きんじゅう)の如(ごと)き貪慾(どんよく)」と、激越に憤った(1183・8・12)。
小松はこの『日録』を基に研究編『後白河法皇史』を書き始めたが、道半ばとなった。『日録』を補訂した弟子の前田多美子は「一人の帝王の克明な日並みの記録は、さまざまな分野で基礎資料になる」と語る。
別冊として、系図や年譜に加え、当時の管弦の遊びの奏者や曲目などの一覧、後白河院司異動一覧が、官職・年齢付きでまとめられている。本編834ページ。別冊と併せ、まさに古筆学の大変な労作だ。学藝書院刊・2万8350円(税込み、書店で注文)。(大上朝美)
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