恐山—死者のいる場所 [著]南直哉
[文]長薗安浩 [掲載]2012年07月13日
■死と向きあう日本一のパワーレス・スポット
イタコによる口寄せ、地獄を連想させる荒涼たる風景、湖畔で回りつづける夥しい数の赤い風車……。幼い頃からテレビで何度か観たからか、実際に訪ねたことはないくせに私は、「恐山」と聞くだけでついそんなイメージを抱いてしまう。
日本一の霊場ともいわれる恐山とは、そもそも何なのか。永平寺で20年もの修行生活を送り、現在は恐山菩提寺で院代(住職代理)を務める南直哉(じきさい)はこの本で、恐山を「死者への想いを預かる場所」だと語っている。
その論拠はこうだ。
友人であれ家族であれ、誰かと自分との間に構築された関係性は、そのまま自分の在りようを決める大切なものだ。それは、相手が死んでも記憶とともに自分の 中に残る。たとえば息子が不幸な事故で死んでも、父親は父親として生きていく。ただし、その関係性や意味を生者がずっと抱えているのはきつく、そのままで は、日常生活をおくるのが困難になることもある。精神的に参ってしまう人もいる。両者をつなぐ意味は、時に生者の行動さえも変えてしまう力をもっているか ら。
〈生者は、死者という「不在の関係性」を持ち切れません。その代わり、死者にその「不在の意味」を担保してもらう他ないのです。死者に関係性や意味を預かってもらうしかないのです〉
そのために、つまり不在の関係性や意味を死者に預かってもらうために人々が訪れる場所こそ、恐山なのだ。
恐山は、だから死者への想いを預かる器であり、死と向きあってしまった人間の感情や想いを放出できるパワーレス・スポットなのだ、と南は説く。そこには意味も価値も秩序もないが、それぞれが自分と死者との適切な距離を見いだす機会を与えてくれる。
自身が長年修行してきた仏教すら恐山では器に過ぎないと断言する南の言説には、常に死者のいる場所に在る者ならではのリアルがある。
この記事に関する関連書籍
著者:南直哉/ 出版社:新潮社/ 価格:¥735/ 発売時期: 2012年04月
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