2012年07月27日
『森鷗外論 「エリ-ゼ来日事件」の隠された真相』 小平克 (おうふう)
最近『舞姫』のエリスのモデルと考えられるエリーゼ・ヴィーゲルトについて決定的な発見があり、エリス問題が再びかまびすしいが、そんなことは所詮モデル探しにすぎず、鷗外にも若気のあやまちがあったというだけで、文学とは関係がないという見方もあるだろう。
エリーゼが『舞姫』という一短編のヒロインのモデルにすぎなかったらその通りにちがいないが、鷗外が彼女のことを終生思いつづけ、多くの作品に陰に陽に彼女の面影を書きこんでいたとしたら、文学とは無関係とはいえなくなるかもしれない。
そもそも諦念の人といわれ、『ヰタ・セクスアリス』で性欲を冷笑的に腑分けしてみせた鷗外が一人の女性を思いつづけるなどということがあったのだろうか。
それがあったらしいのである。小堀杏奴は『晩年の父』で鷗外がエリーゼと長く文通をつづけ、亡くなる直前に彼女の写真や書簡をすべて焼却したとい う話を伝えているが、「はじめて理解できた『父・鷗外』」(1979)という文章では小学校に通う途中にある荒物屋の十三、四歳の少年店員が彼女に「生き 写し」だったと語っているという。この話の後日譚は岩波文庫版『晩年の父』(1981)の「あとがきにかえて」にあるが、1979年の文章の方が生き生き しているので、孫引きになるが引いておく。
この少年について、後に母が、少年が独逸時代の父の恋人に、生き写しだと、父が語っていたと教えてくれた。この母の話の方は、私が結婚してから聞 かされたように思うから、多分、『晩年の父』には出てこないはずである。母の言葉で、今更に私は、遠く、幼い日々を振返り、感無量であった。少年と語り 合っている私や、弟を、軍服姿の父が、微笑を湛え、じっとみつめていた一瞬の表情が、突如、まざまざと、眼前に浮かんだからである。
少年に似ていたというのだから、エリーゼは凛々しい顔立ちだったのだろう。杏奴の女友達の中にもエリーゼと似ている女性がいたというから、そうした人物の若い日の写真を集めれば鷗外の記憶に残るエリーゼの面影に近づけるかもしれない。
さて、本書は「「エリ-ゼ来日事件」の隠された真相」というスキャンダル追求めいた副題がついているが、来日事件にかかわるのは最初の二章だけ で、後半の三章はエリーゼが鷗外の文章に残した跡を追跡している。『舞姫』は当然として、別離から20年以上たってから書かれた『うた日記』、『青年』、 『雁』、そしてなんと遺言にまで彼女の影が揺曳しているという。
著者は第一章で存在が隠されていた「空白期」、小金井喜美子の一方的な決めつけで金目当てに鷗外を追ってきた「路頭の花」とされた「エリス期」、 船客名簿から本名がわかって後の「エリーゼ期」の三期にわけてエリーゼ像の変転を跡づけた跡、第二章では鷗外はエリーゼと結婚するために軍医辞職願を提出 していたという仮説を立てる。
軍医を辞めるつもりだったではなく、実際に辞表を出していたとは大胆な仮説だが、鍵となるのは母峰子が10月6日に篤次郎と小金井良精に嫁いでい た喜美子を同道して石黒忠悳の私宅を訪ねていたという事実である(小金井喜美子は著書ではこの訪問にはまったく触れていない)。母親が弟妹を連れて上役の 私宅を訪問するとは異常な事態だが、著者は辞表を撤回させるから、それまで待ってくれるように懇願に行ったのであり、その4日後の鷗外の石黒訪問が辞表撤 回だったと推定している。
辞表提出が事実だとしたらまさにスキャンダルだが、これは単なる覗き趣味ではなく、エリーゼが鷗外の「永遠の恋人」だったことを示して後半の議論の地がためをするためだ。
第三章では『舞姫』の執筆が赤松登志子とのあわただしい結婚と離婚と密接に関連していたことが論証される。うっかりしていたが、『舞姫』は登志子 夫人の妊娠中に書かれていたのだ。登志子夫人は出産早々子供をとりあげられ、離縁させられてしまうが、妊娠して捨てられ、発狂してしまうエリスの物語をど のように受けとったのだろう。
第四書ではエリーゼ事件から20年上たって上梓された『うた日記』を俎上にのせている。「扣鈕」の「こがね髪 ゆらぎし少女」がエリーゼであるとはもともと森於莵が指摘したことだし、「べるりんの 都大路」が回想の背景となっていることからも動かないだろう。
著者は「夢がたり」の
触角を 長くさし伸べ
物来れば しざりかくろふ
隠処の 睫長き子
人来れば かくろへ入りて
我を待ち居り
という「蟋蟀」に来日時のエリーゼの面影を見ている。隠し妻といいうことだけでいえば離婚後に峰子があてがった児玉せきが候補となるが、彼女の容貌 は「睫長き子」という形容にそぐわないので、「蟋蟀」はやはり異国のホテルに閉じこめられ、鷗外を待つしかなかったエリーゼだというのだ。
官能的で謎めいた「花園」がエリーゼのイメージで解けるという指摘はなるほどと膝を打った。エリーゼを補助線にすると確かによくわかるのである。
第五章では『青年』、『妄想』、『雁』、『ヰタ・セクスアリス』をとりあげているが、一番納得できるのは『雁』である。
山﨑國紀氏は『評伝 森鷗外』でエリーゼ=お玉説を提唱したが、小平氏はむしろお玉が鳥籠にいれて飼っていた紅雀にエリーゼを見ている。
来日したエリーゼは築地精養軒にとめおかれたまま、彼女を排斥する森家親族の圧力に耐えていたのであって、まさしく彼女は「窓の女」であり、「鳥 籠の紅雀」であった。この紅雀が「つがい」であるのは、鷗外が彼女と結婚するつもりで来日させていることをあらわすものであろう。この「つがいの紅雀」を 襲う蛇は、二人の結婚を忌避する森家親族の暗喩なのではないか。襲われた蛇にくわえられてぐったりとなった一羽の紅雀は鷗外であって、「籠の中で不思議に 精力を消耗し尽くさずに、まだ羽ばたきをして飛び廻ってゐる」もう一羽の紅雀は、『小金井日記』と『石黒日記』との関連的な推論によってひきだされた「エ リーゼ来日事件」の経過からみてエリーゼの姿そのものに思える。
『ヰタ・セクスアリス』については性欲と恋愛を分離する主人公の冷笑的な態度にエリーゼ事件で受けた心の傷を読みとっている。エリーゼ以外の女性は性欲の対象としてしか見ることができなくなっていたというわけだ。
一歩間違えれば我田引水の深読みになってしまうが、著者の読みは十分議論に耐えると思う。鷗外作品はエリーゼという視点から読み直してみるべきだろう。