2009年5月20日水曜日

asahi shohyo 書評

落下傘学長奮闘記—大学法人化の現場から [著]黒木登志夫

[掲載]2009年5月17日

  • [評者]重松清(作家)

■研究者から一転、悪戦苦闘の日々

 地方の国公立大学はいったいどうなってしまうのか。本書の副題にある〈大学法人化の現場〉——その現場は、僕たちが予想/覚悟していた以上に、とんでもないありさまだった。

 基礎医学の研究一筋に生きてきた著者は、2001年、なんのゆかりもなかった国立岐阜大学の学長に就任する。いわゆる「落下傘」である。折しも国公立大学の独立法人化が強引に推し進められている時期、火中の栗はハジけどおしなのだ。

 法人化前に3年、法人化以降に4年、つごう7年間の学長生活は、「親方日の丸」にどっぷり浸(つ)かっていた大学の体質を思い知らされ、「改革」の名のもとに地方を切り捨てていく中央省庁の思惑を目の当たりにしてしまう日々だった。

 2004年の法人化まで、落下傘学長は帯状疱疹(ほうしん)を患い、尿路感染症に罹(かか)り、高血圧と不整脈にも苦しめられ た。〈さらにつけ加えれば、髪の毛が薄くなったのも、岐阜大のせいであると確信している〉。体調が落ち着いたのは法人化が目前に迫って、事務局の顔ぶれや 意識が変わってから。だから——〈少なくとも、私のからだは、法人化を必要としていたのだ〉。

 そんなユーモアに満ちた語り口が「奮闘」の明るさを保ってくれてはいるものの、著者の報告する国公立大学をめぐる状況はやはり暗澹(あんたん)としている。

 国からの運営費交付金は毎年1%ずつ減らされ、予算の潤沢な旧帝大と地方との格差は広がる一方である。地域医療の核になる大学病院も、再整備の負債を押しつけられた大学にとってはお荷物になりつつあるし、大学の経営難は地方都市の雇用や経済にも影響を与えるだろう。

 国公立大学は〈地方の「知の拠点」〉であると同時に、地方を代表する企業でもある。学長はその経営者——だからこそ、〈最大の 問題は、教育の重要性を理解せず、あるいはわざと理解しないふりをして、予算を削減してきた財務当局である〉と訴える著者の声には、理念の堂々巡りを繰り 返す教育論議にはないリアリティーが、確かに(身も蓋〈ふた〉もなく)宿っているのだ。

    ◇

くろき・としお 36年生まれ。東大教授などを経て01〜08年まで岐阜大学長。

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