音楽を展示する—パリ万博 1855−1900 [著]井上さつき
[掲載]2009年5月17日
- [評者]高村薫(作家)
■軽快な手つきで人間模様を描く
十九世紀のパリ万博のイメージは、エッフェル塔や、ガラスと鉄の壮麗なパビリオンだろうか。しかし、当時の万国博覧会はただの産業見本市ではなかった。歴 史、労働、芸術など、おおよそ人間にかかわる万物を体系化する百科全書的な試みであり、そこでは当然、音楽も「展示」すべき文化財とされた。さすが芸術の 都、というなかれ。すでに近代に入っていた十九世紀のフランスにあって、芸術は国民を啓蒙(けいもう)し、幸福な産業社会の形成に役立つものとして位置づ けられていたのである。
このサン・シモン主義の熱気と、共和制下のときどきの政治的意思と、会場建設などの景気刺激策の三つがそろった国家イベントに おいて、さて音楽はどのように「展示」されたのだろうか。著者は、パリの国立古文書館や歴史資料館などで発見された資料をもとに、その紆余曲折(うよきょ くせつ)や成功と失敗、さらには変化してゆく時代の音楽地図を詳細に辿(たど)っている。百年以上も遡(さかのぼ)ったそれは、今日私たちのよく知るコン サートやコンクールとはだいぶん様子が違うが、学士院芸術アカデミーやパリ音楽院の権威と現実、予算を握る官僚と音楽家たちの意見の違い、そして聴衆であ る国民の正直な反応など、まるでバルザックの『人間喜劇』を見るようである。
たとえば一八六七年万博の作曲コンクールで入賞したのはサン・サーンスだったが、お披露目の褒章授与式のコンサートでは、大御 所ロッシーニがちゃっかり自作を演奏してしまったこと。普仏戦争での敗戦を経た七八年万博では、愛国心のために曲目をフランス現代音楽に限ったところ、概 して不人気だったこと。つねに数百人規模の大オーケストラが編成されるため、楽器メーカーが儲(もう)けたこと。演奏曲目の選定で、つねに学士院会員の作 品が優先されたこと。それでもフランク、フォーレ、ドビュッシーなど、新しい時代が確実に開かれていったこと。
本書は、音楽の経済史ともいうべき真面目(まじめ)な専門書だが、音楽の「展示」をめぐる人間模様を描き出す軽快な手つきは、実にフランス的で、楽しい。
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いのうえ・さつき 愛知県立芸術大学教授(近代フランス音楽史)。
- 音楽を展示する—パリ万博1855‐1900
著者:井上 さつき
出版社:法政大学出版局 価格:¥ 4,830
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