2009年5月5日火曜日

asahi shohyo 書評

1945年のドイツ—瓦礫(がれき)の中の希望 [著]テオ・ゾンマー

[掲載]2009年4月19日

  • [評者]南塚信吾(法政大学教授・国際関係史)

■長く生き難い、苦悩と再生の1年

 ドイツにおける1945年の365日が、何と長く、そして多くの事件と「意味」に満たされた「時」であったことか。そして、何と「生きる」ことの難しい「時」であったことか。

 本書では、1945年初めからのドイツへの連合国の侵攻、混乱の強制収容所、ドイツ人の避難生活、4月30日のヒトラーの自 殺、無条件降伏、ヤルタとポツダムでの連合国会談、連合国による占領と対ドイツ政策、占領下での悲惨な市民の生活が描かれる。その間に、日本の敗戦への道 と原爆投下が効果的に挿入されている。

 この本は決して学術的な歴史書ではない。だが、一ページごとに「1945年のドイツ」から「1945年の日本」を想起させながら読ませる力を持っている。

 「妄想から始まったこの戦争はカオスで終わった」。あの非人間的なナチス体制とあの戦争は、一体だれのせいなのか、自分にも責 任があるのか、1945年は「敗戦」なのか「解放」なのか、こういう大問題に直面しながら、ドイツの国民はこの1年を「生きる」。不安と忘却の中で。だ が、わずかに再生への希望の光がさしてくる年でもあった。考えてみれば、これは日本でも同様だったはずだ。

 しかし、何かが違う。本書の論理で言えば、1945年のドイツは国家権力も領土も国民も失い、要するに国家がなくなったのに対して、日本は分割占領もなく、天皇制も残り、国家は不完全ながらも維持されたことになる。この違いは戦後の歩みに残るはずだ。

 著者は、ドイツ人への強いメッセージを込めている。ドイツ人は連合国の空爆や占領の犠牲者であると言う。だが、「ドイツ人が犠牲者になる前に、ドイツ人は犯罪者であったことを忘れてはいけない」と断言する。日本ではどうか。

 最後に、1945年に人々を苦しめていた「失敗と苦悩」を耐えて、再生のために必死に生きたあの世代の歴史を大事にしなければならないと、現代の若い世代に警告する。日本ではどうか。

    ◇

 山木一之訳/Theo Sommer 30年、ドイツ生まれ。ジャーナリスト。

表紙画像

1945年のドイツ 瓦礫の中の希望

著者:テオ ゾンマー

出版社:中央公論新社   価格:¥ 2,940

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