2009年5月5日火曜日

asahi shohyo 書評

京都美術鑑賞入門 [著]布施英利

[掲載]週刊朝日2009年5月8日増大号

  • [評者]青木るえか

■京都は「思想」、奈良は「感情」だとわかった

  京都や奈良、と一口に言っても京都と奈良はぜんぜん違う。奈良好きの人間から見ると京都というのはケバケバしていてガチャガチャしていてあんまり好きにな れないのだ。桂離宮にも苔寺にも龍安寺の石庭にも行って、きっとコレがキンピカでない京都の粋みたいなもんなんだろうというあたりを軒並み見てきたが、 やっぱり奈良好きからすると「ギンギンにがんばって粋をやってる」ようにしか見えなくてダメだ。奈良のそのへんの路地にある名もない寺のほうがずっといい 感じに枯れていて胸に染み入るぞと言いたい。京都ってそれほどのところではない。

 と思いながら『京都美術鑑賞入門』を読んでみると、けっこう京都は面白いところのような気がしてきた。この本は京都にある建築 や庭を「こういうふうな見方で見ると面白いですよ」と教えてくれる本だ。京都と銘打ちながら法隆寺や東大寺が出てくるが、なぜかこの本の中では東大寺や法 隆寺はツマラナイのである。もちろんそれらの奈良スター寺を貶(おとし)めて書いているわけはなく、同じように鑑賞の対象として書かれているのだけれど、 何かこう、読んでいても「はあ、そうですか。それが何か」と思ってしまうのだ。京都の庭や建築について書かれているものを読むと「ああ、なるほどねえ」と 面白かったりする。いったいなぜ。

 考えてみたところ、たぶん京都の建築や仏像や絵画や庭は「思想」というものが先にあって出来上がっている。石庭とか枯山水なん てまさにそうだ。その点、奈良の仏像や建築なんてのは「デカきゃいい」「キレイならいい」という、「思想よりも感情」が前面に出ている。そんな奈良の仏像 のポーズの意味なんかを詳しく説明されても「キレイだからいいじゃん」と思うし、京都の庭の意味を説明されたら「なるほどそういう意味だったのね」と納得 できるわけか。

 この本で、京都の庭や絵画の解釈がわかったのももちろん面白かったが、奈良と京都の違いのようなものがわかってスッキリしたのはもっとよかった。

表紙画像

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