2009年5月13日水曜日

asahi shohyo 書評

やんごとなき読者 [著]アラン・ベネット

[掲載]2009年5月3日

  • [評者]鴻巣友季子(翻訳家)

■女王陛下が読書熱にとりつかれ

 なんとチャーミングな本だろう。英国の女王陛下が齢(よわい)八十近くにして突如、猛烈な読書熱にとりつかれるという、オプシマス(晩学者)の目覚めを描いた王室コメディー。王室風刺はイギリス文学のおはこである。

 ある日、エリザベス二世は愛犬を追いかけて移動図書館に入りこむ。兎(うさぎ)を追って穴に落ちたアリスのように、その時から 不思議の国への冒険が始まった。書記に抜擢(ばってき)した若者の助力で次々と小説や詩集にのめりこみ、公務も上の空、園遊会や会談で文学を論じ、ついに 周囲はアルツハイマー病を疑うことに。本書解説者によれば、イギリスの上流階級には「物知らず」を美徳とするところがあるのだ。

 なにしろ陛下であるから権威にもひるまない。大家とその傑作をばしばしと斬(き)る。過去の方ばかり向いているプルーストには 「しっかりしなさいよ」と言いたくなり、ヘンリー・ジェイムズの回りくどい文章に「さっさと先に行きなさいよ」と一喝。しかしジェイムズの読みにくい文体 からも陛下は学ぶ。そう、人の気持ちを思いやるということを!(このくだりは爆笑もの)。本作自体が痛快な文学批評にもなっているのだ。

 陛下は首をかしげる。世果中のあらゆるものを実物で見てきたのに、紙上のお話になぜこうも心揺さぶられるのか。「文学の共和 国」に「無名の人」として分けいるうち、自分は「ふつうの人間ごっこ」をしていただけだと気づき、これまでの人生を取り戻すべく、ますます書物の深みへ。 本書は、女王陛下なりの『失われた時を求めて』とも言えるだろう。さて、その人が新たに向かう先は?

 本書邦題から、ヴァージニア・ウルフの評論書『一般読者(The Common Reader)』を想起し、原題を見てみると  The Uncommon Readerとあった。作者の姓が、『一般読者』でウルフにこき下ろされた作家アーノルド・ベネットと同じなのも気になる 点。ベネットの末裔(まつえい)が題名をもじって酷評に一矢報いたのでは?などと勘ぐったが、こんな邪推まじりの読書は英国的美徳とは言えまい。

    ◇

 市川恵里訳/Alan Bennett 34年生まれ。英国の劇作家・脚本家・俳優・小説家。

表紙画像

やんごとなき読者

著者:アラン ベネット

出版社:白水社   価格:¥ 1,995

0 件のコメント: