和本の海へ—豊饒(ほうじょう)の江戸文化 [著]中野三敏
[掲載]2009年4月12日
- [評者]石上英一(東京大学教授・日本史)
■当時の出版文化伝える希少本紹介
江戸文化なくして近現代文化は成り立たなかった。江戸文化を知るには、文芸や学問、生活や感情を伝える和本に通じることが必要と著者はいう。
江戸文化は、出版の興隆のもとに展開した。江戸期の刊本・写本の書物の総点数は100万に及ぼう。だが、近現代で活字化された ものは1万点にも及ぶまい。そこで著者は、手元に集めた「雑本」を中心に、和本の持つ面白さ、豊かさに興味をもってもらおうと本書を企てる。ここには「現 存唯一本」の収集品もこっそり忍ばせてある。
江戸文芸の柱の一つが戯作(げさく)だ。1778年の序が付く渾沌(こんとん)先生選『挿花古実化(そうかこじつけ)』は、花 器とそれに生けた花を描く百瓶(ひゃくへい)の画を連ねる。一つの画に、生け手「太田氏」、花器「ミの」、花「や満ふき」とある。蓑(みの)を筒状に巻い た釣花器(つりかき)に生けた一枝の山吹、したがって生け手は言うまでもなく太田道灌だ。戦国時代、江戸城を築いた道灌の山吹の里の伝説にもとづくこじつ けである。まさに生花を場とした戯作文化の表出であろう。
江戸は、江戸城を、大名をはじめとする武家の屋敷が取り巻く巨大都市であった。『異扱要覧(いあつかいようらん)』は、武家屋 敷の辻々に設けられた辻番所の番人の心得を示した、18世紀後半期の刷り物。「同志の友の需(もとめ)に応じて」、限定500枚を刷ったと記す。捨子(す てご)・捨物(すてもの)・倒者(たおれもの)・水死者(すいしもの)などの事件が起きたとき、いかに対処すべきかを示す。治安維持の当事者が記す心得 は、時代劇への興味や理解を高めてくれる。
江戸文化は、遊びが科学に交わる場も生み出した。1775年刊『養鼠(ようそ)玉のかけはし』はペット鼠(ねずみ)飼育法の珍 本。さらに、1787年刊『珍翫鼠育草(ちんぐわんそだてぐさ)』はハツカネズミを交配して、例えば「黒眼(くろまなこ)の白鼠」をつくる方法を記す。博 物学者はメンデルのエンドウ交配実験報告発表より79年前の業績になると評す。
さらに指紋占い、博奕(ばくち)、言葉遊び、遊里案内、職人尽(づくし)、書画展観目録、画譜、狂詩、わ印(春本)など興味深い収集本も紹介する。本書は、和本というモノを通して、江戸文化の深さを私たちに教えてくれる。
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なかの・みつとし 35年生まれ。九州大名誉教授。『近世新畸人(きじん)伝』など。
- 和本の海へ—豊饒の江戸文化
著者:中野 三敏
出版社:角川学芸出版 価格:¥ 1,680
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著者:中野 三敏
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