漁師と歌姫 [著]又吉栄喜
[掲載]2009年5月10日
- [評者]江上剛(作家)
■まったり心地よい土俗的な神話
最近は、草食系といわれる淡泊な、頼りない男が多くなったらしいが、この小説の主人公の正雄はいわゆる男らしい男。素手で人食いザメを捕るほど勇敢な漁師であり、櫂(かい)をこぐために上半身の筋肉が発達した美しい若者だ。
小説は、正雄の、村一番の美女和子への恋を軸に展開する。
恋といってもちゃらちゃらした現代的なものではない。静かで寡黙な恋だ。彼女は、美しいばかりではなく、呪文のような詩を詠 み、詩を「大自然と(自分とを)融合させるモノ」と考えている巫女(みこ)のような女性。正雄は彼女の能力に畏怖(いふ)を感じ、彼女を守ることに徹して いる。敵(かたき)役として登場するのが、正雄に一方的に恋心を抱く美佐枝。嫉妬(しっと)に狂った美佐枝は和子を激しく攻撃し、思いがけない事件へと発 展する。それをきっかけに物語は人生の方向性を探る内容へと変化していく。
骨太で飾り気の無い文章に浸りながら読んでいると、沖縄の明るい太陽の下で潮風に当たっているような、まったりとした気分になる。なぜこんなにも心地よい小説なのだろうか。
正雄は美しい肉体を持ってはいるが、精神は未熟だ。自分が何者であり、どんな力を秘めているのかなどということは考えてもいな かった。狭い土地に縛られ、漁師を続けていることに迷う父に「男は一つに筋を通すべきだよ」と答えていたほど。ところが和子に触発され、魚の命を殺す漁師 だからこそ自然の命についての考えを深め、徐々に自分の命が自然と一つだと目覚めていく。
彼の精神が沖縄の風景の中でまさに熟成されるのだが、その過程を一緒にたどるうち、多忙と喧騒(けんそう)で空っぽになった私たちの精神が満たされ、癒やされてゆく。それが心地よさの理由だ。
また、これは土俗的な神話小説でもある。正雄は太陽神アポロンを想起させ、他の多彩な登場人物たちも自分の欲望に忠実で、原始 のエネルギーが横溢(おういつ)する土俗の神々そのもののように描かれている。草食系男子が読めば、間違いなく命のエネルギーが注入されることだろう。
◇
またよし・えいき 47年生まれ。96年に「豚の報い」で芥川賞。『呼び寄せる島』など。
- 豚の報い (文春文庫)
著者:又吉 栄喜
出版社:文藝春秋 価格:¥ 450
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