2009年5月5日火曜日

asahi shohyo 書評

炭鉱太郎がきた道—地下に眠る近代日本の記憶 [著]七尾和晃

[掲載]2009年4月26日

  • [評者]重松清(作家)

■五感を駆使して記憶の細部描く

  かつて炭鉱の坑内で働いた老人は、畳の上で腹ばいになったり中腰になったりして、蒸し暑い坑内での採掘作業の様子を熱心に著者に語る。炭鉱が閉山したあと の島に残った老人は、取材を終えた著者を「もう少しだけ」「もうちょっと先まで」と足をひきずりながら見送り、廃墟(はいきょ)の一つひとつを指差(ゆび さ)して、往時のにぎわいを伝える。

 そんなしぐさが見える。声が聞こえる。表情が浮かび、息づかいが伝わってくる。本書のなによりの魅力は、一人ひとりの抱く「記憶」の温(ぬく)もりをていねいに言葉にしてくれているところにある。

 1974年生まれの著者は、かつて炭鉱の坑内で働いて「炭鉱太郎」と呼ばれていた人々を尋ね歩き、彼らの現在と過去をたどっていく。全国各地から炭鉱マチに集まり、閉山とともに散り散りになった炭鉱太郎は、石炭産業の栄枯盛衰の語り部でもあるだろう。

 だが、本書は決して炭鉱の「歴史」のみを知るための一冊ではない。〈私はみずからが生まれる前の世界をみずからの五感で確かめ てみたかった〉——だからこそ、著者は、炭鉱太郎やその家族たちの五感に刻まれた「記憶」に感応する。事故や争議、鉱害や差別といった負の「歴史」を直視 したうえで、おおらかなたくましさや明るさに満ちた「記憶」のほうに、より強く、深く、惹(ひ)かれていく。

 長崎県高島の海底炭鉱で働いていた森下さんという人は、「暑いんですよ、あそこは」と言う。それを受けて、著者はこうつづけ る。〈これまで、そうした過酷な環境での労働を語り継ぎ、あるいはその苦労を訴える書物は多数、書き残されてきた。しかし、実際に海の底で石炭を掘ってい た森下の口から、「海の底のほうが暑い」と聞かされると、そうした数多の書に綴(つづ)られた情景が生きたものとして感じられた〉。これこそがオーラル・ ヒストリーの醍醐味(だいごみ)だろう。そして、自らの五感を駆使して「記憶」の細部を大切に描き込む著者の文章もまた、人々の話を〈生きたもの〉として 読み手に届けてくれるのだ。

    ◇

ななお・かずあき 74年生まれ。ルポライター。『闇市の帝王』『銀座の怪人』など。

表紙画像

炭鉱太郎がきた道

著者:七尾和晃

出版社:草思社   価格:¥ 1,785

表紙画像

銀座の怪人

著者:七尾 和晃

出版社:講談社   価格:¥ 1,890

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