2010年10月12日火曜日

kinokuniya shohyo 書評

2010年10月10日

『アンビルド・ドローイング 起こらなかった世界についての物語』三浦丈典(彰国社)

アンビルド・ドローイング 起こらなかった世界についての物語 →bookwebで購入

「絵空の社会認識を描こう」

建築家が構想を描いた絵で、なんらかの理由で実現することのなかったものを「アンビルド・ドローイング」と呼ぶ。実現しなかったといっても、コンペに負け たとか途中で頓挫したというような負の遺品や怨恨の証みたいに残されたものではなくて、現実的な設計図以前の、建築家の思考やアイデアを示すものをさすよ うだ。本書は建築家をはじめとする26人が描いたアンビルド・ドローイングを掲げて、三浦丈典さんがそれぞれの作家を紹介するものだ。小振りな判型に美し い図版と端正な文章が並び、毎晩1話ずつ子どもたちに読み聞かせては、絵を眺めながら眠りにつきたくなるような本である。

冒頭「はじめに 想像の翼」として、本をつくるきっかけが記されている。学生時代にまるで絵本を見るようにして眺めていたたくさんのドローイングのなか で、なぜかアンビルド・ドローイングに特に惹かれたそうである。その理由を探るうちに、日々の暮らしのアンビルドに思いが至る。
私たちの行いは、どれだけ慎重に予想しても実現するのはほんの一部だ。そして行動のひとつひとつには、その行動をしなければ起こっていたできごとが封印さ れる。三浦さんは、〈あたりまえのように存在するこの世界も、実はたまたま実現したもろく危うい世界〉であって、〈ほんのすこしのきっかけで、まったく別 の世界になっていたかもしれない〉のだから、〈現実離れして見えるドローイングたちも、あっさり実現したかもしれ〉ないと言う。ならば今わたしたちもこの 時代の〈絵空の社会認識〉をめいいっぱい描くべきで、そしてそれは建築家に限らず誰もに与えられた楽しみですと誘うのだ。

アンビルド・ドローイングを前にくりひろげるぼくの妄想を披露するから、どうぞ貴方も試して欲しい、そんなふうに物語ははじまる。妄想といっても、建築家 である三浦さんの仕業だ。素人が途中で本を閉じてしまいたくなるような文言は避けながら、それぞれの作家へのより深い関心と興味を引き出してくれる。語り 口は穏やかだけれど、暮らしの不満を時代や誰かのせいにすることへの痛烈な批判がある。想像から逃げているから、叶うかどうかわからない〈架空の世界を自 由に飛びまわるたくましい翼〉を失っているから、と、心当たりのある読み手の心をズズッ、ズサッと突き刺す。
それにしても、この柔らかな語り口はどうだろう。甘さやぬるさ、媚びとか気負いや恐れのない、普遍の若さ。おそらく、自身の想像がたちどころに体から放り 出されてもかまわないという潔さと、どこかにいつか着地するだろうという信頼のようなものがあるのだと思う。アルド・ロッシについて、三浦さんはこんなふ うに描いている。
ロッシは人や動物を見ながら同時にその奥の死骨を透視し、そしてそれとまったく同じやりかたで街を見ていた。だからこそ死は歴史を紡いでいくくさびにすぎないし、悲しさや怖さとは無縁だ。

ご自身に語りかけているようでもある。
ロッシは1997年、交通事故で唐突に亡くなったそうである。なんともロッシらしいとしたうえで、こう閉じる。〈きっとどこか別の時間をよそ見してたんだ と思う。〉そして今年たて続けに亡くなったという祖父と父には、あとがきでこう語りかけている。〈専門的な内容じゃないから読めると思うよ。〉

→bookwebで購入

0 件のコメント: