2010年10月13日水曜日

kinokuniya shohyo 書評

2010年10月13日

『日本人の行動パターン』ルース・ベネディクト(NHK出版)

日本人の行動パターン →bookwebで購入

「戦時日本へのまなざしを知る新たな資料」


 本書『日本人の行動パターンは、ルース・ベネディクトの代表作『菊と刀』が発表される前に書かれた論文、「Japanese Behavior Patterns」(1945年)とそれ以前に書かれた「What shall be done about the Emperor」(不明)を、1997年に福井七子氏が翻訳して出版したものである。評者も出版されていたことは知っていたが、『菊と刀』との関係が不明 だったため、手にしていなかった。だが、それ以前の、しかも戦中に書かれた(発表されたのは終戦後の45年9月だが、完成したのはその約一カ前とされる) ことを知り、読んでおきたくなったのである。

 有名な研究は批判さられることも多い。

「歴史の無視、資料操作の恣意的変更、『罪の文化』(西欧)と『恥の文化』(日本)というあまりにもナイーブすぎる二元論」(213ページ)

「そこで著者(ダグラス・ラミス=評者注)は、『菊と刀』は一人のすぐれた詩人によってかかれた『政治文学』であり、人類学研究の著作というよりほとんど一個の『政治論文』であると、一刀両断に切り捨てている」(217ページ)

 本書の解説欄で、哲学者の山折哲雄氏が批判のバリエーションを広く紹介しているように、ベネディクトの研究やその手法に対してはこういったラディカルな批判も多い。
 確かに、ベネディクトは人類学者を自任しながら、人類学者が用いるべき手法を取っていない。その意味では上記のような批判があるのは致し方ない。有名な 話ではあるが、彼女は一度も日本に来たことがないのである。福井氏の解説によると、それには彼女が難聴という病気を持っていたことが原因としてあったとさ れるし、彼女が本論文を執筆する際、日米両国が既に戦争へと突入していたこともあるだろう。

 遠い過去の研究を現在からさかのぼって論難する研究や書評があるが、そういった批判の仕方はまったくナンセンスである。当時を俯瞰し相対化できる特権的 立場からそのような論述をすることは卑怯な態度だと思うからである。それゆえ、そういった特権的な批評はできるだけ避けなければいけない。
 さて、彼女の仕事を現代でいうテクスト分析、言説分析と考えれば、まったくその評価は変わってくる。逆の言い方をすれば、彼女は日本に一度も来ることな く、優れた日本文化論を完成させてしまったのである。フィールドに行かずにテクストの分析から推論するというのは、テクスト分析の骨頂である(ただし、そ れはあくまでのテクストの傾向を示しているだけであり、実態を論じる際には仮説にすぎない。それを実証するためにはフィールド調査や客観的なデータとの組 み合わせが必要となる)。
 西洋人から見れば矛盾しているように見える日本人の行動パターンを書物などの表現からここまで抜き出すことに成功しているのである。これは、何らかの理 由でフィールド調査や参与観察ができない場合や、客観的なデータが得られない場合、テクスト分析という手法だけでここまで推論が可能なのだということを示 している。

 内容の詳細には触れないが、第1章「日本人は宿命論者なのか?」、第2章「日本人の責任体系」、第3章「日本人の自己鍛錬」では、辞書、修身の教科書、 雑誌、新聞、プロパガンダ映画から、『忠臣蔵』のような芝居や『坊っちゃん』などの小説まで実に様々な資料が用いられ、日本人の行動様式が説明されてい く。
 そうは言っても、ここで用いられているテクストの偏りには触れておかなければならない。一つは二次文献に依存しすぎということである。日本の文献の翻訳 やそれに基づく欧米人による日本文化論がベースになっている。つまり、日本の書物や大衆文化に直接当たったわけではないのである。もちろん現代のようなグ ローバルな世界ではない。時代背景を考えるとある程度仕方ないとしても、そういったテクストに対する日本人の位置づけや反応にも触れていないのだ。そのな かには、必ずしも一般的とはいえない雑誌なども含まれており、日本人の感覚からすると、それをもって日本人の一般的な性質と断定するのはどうかという疑問 が随所でわく。
 第5章「危うい綱渡り」、覚書「天皇はいかに処遇されるべきか」では、「日本人の性格構造」の分析から、すでに「戦勝」後の戦後処理や天皇の処遇につい ての考察がなされていることに驚く。その主たる主張は「日本人を侮辱するな」というものである。これはまさにベネディクトの研究が「政治論文」といわれる ゆえんであるが、彼女は米国の戦時情報局での研究を命じられており、政治過程にどっぷり漬かっている。なお、太平洋問題調査会(IPA)と呼ばれる会議で は、著名な社会学者、タルコット・パーソンズらを前に報告を行っている。

 以上見てきたように、本書を読むに当たっては戦時という特殊な状況下で書かれたことや、当時の分析手法で行われたものであることを踏まえておくべきだ が、米国が東洋の新興国、日本をどのようなまなざしで見ていたのか、ということを知るには非常に有用な書である。近代史に馴染みの薄い方は、欧米人が記録 した『映像の世紀』(NHK)のような映像記録やその解説と併せて読み進めてみるとよいだろう。

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