2010年10月2日土曜日

kinokuniya shohyo 書評

2010年09月30日

『デカルト、コルネーユ、スウェーデン女王クリスティナー−一七世紀の英雄的精神と至高善の探求』 カッシーラ (工作舎)

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 哲学者デカルト、劇作家コルネーユ、女王クリスティナの三人を通して17世紀の時代精神を読みとろうとする試みである。本書は仏訳版からの邦訳で原著の一部が割愛されているが、重訳ながら訳文はカッシーラの重厚な風格をよく伝えている。

 原著は「デカルト主義の基本問題」という論文からはじまるが、邦訳はデカルトとコルネイユの間に影響関係はあったのかという問いにいきなりはいる。

 コルネイユはデカルトより10歳若かったが、世に知られたのはコルネイユの方がやや早く、代表作である『ル・シッド』の初演は『方法序説』の刊行 された年である。コルネイユが新進劇作家として注目を集めはじめた時期、デカルトはオランダにいて互いに接点はなかった。それでもデカルト哲学とコルネイ ユ劇に「道徳的親近性」があるとしたら、同じ時代を生きていたからという抽象的な答えをもってくるしかないだろう。ランソンいうところの「平行関係」であ る。

 カッシーラはデカルト哲学とコルネイユのドラマツルギーが自由というテーマを共有していると指摘した後、ストア主義という補助線を引くことによって二人がともに生きた時代を浮彫りにする。

 ルネサンスを機にストア主義復興の気運が生まれ、デカルトもコルネイユもストア主義礼讃の教育を受けたが、カッシーラは「両者のストア主義には、単なる伝統的教説の反復など認められず、独創と斬新さがありありと窺える」と断ずる。その独創とは情念の肯定である。

 古代ストア主義にとって情念は無条件に悪であり、アパテイア——情念(パトス)のない状態、魂の平安——が至高善とされていた。アパテイアを実現するには諦念によるしかない。

 だが『情念論』で明確になるようにデカルトにとっては情念は脳の中で動物精気が騒擾する身体現象にほかならず、身体的存在である限りのがれること はできない。デカルトは諦念による情念の抑圧ではなく、むしろ情念に情念をぶつけて積極的に情念を統御する方途を選ぶ。デカルトから見れば古代ストア主義 のアパテイアは「非身体的存在のための処方」にすぎず、理想どころか「虚妄」にすぎないのである。デカルトは情念を否定する消極的・受動的な古代ストア主義を情念肯定の積極的・能動的な近代ストア主義に換骨奪胎した。

 デカルトのこの積極的・能動的ストア主義はコルネイユの「悲劇は聴衆の魂のなかに憐みと恐怖を喚起しながら、カタルシスを行わなければならない」とするドラマツルギーと通底する。

 コルネーユの主人公(英雄)を際立たせるのは、情念に対する熟慮の優越にある。どの主人公も、デカルトが『情念論』で最良の技術として称揚したも の、すなわち「魂に固有の武器」を以て情念に立ち向かう技術を、身に備え、行使する。この武器とは、コルネーユの場合にも、「明晰で判明な観念」であり、 それに基づく判断である。

 カッシーラは近代的ストア主義という概念によってデカルトとコルネイユに共通する時代精神に明確な輪郭をあたえたのだ。

 クリスティナ女王はどうだろうか。

 デカルトをストックホルムに呼びよせたスウェーデン女王クリスティナは名君の誉れが高かったが、デカルトが亡くなって5年後、従兄弟のカルル十世 に禅譲してカトリックに改宗してしまう。みずから王冠を棄てるというだけでも大変なことなのにプロテスタント国の女王がカトリックに宗旨変えしたのだか ら、古来さまざまな憶測をよび、改宗にデカルトの影響があったかどうかも議論のまとになってきたが、どうも否定論が優勢のようである。

 クリスティナはデカルトから親しく教えを受けたとはいっても、デカルトは4ヶ月で急逝している。女王は多忙なために会う時間を早朝にしか作れず、 朝寝坊のデカルトを毎朝五時に宮殿の図書室に伺候させたのに、言葉をかわしたのは週に数回だけだった。ようやく気心が知れてきたところでデカルトは病にた おれた。影響を受けるほどの関係ではなかったいう見方がでてくる所以である。

 カッシーラは17世紀前半のオランダで勃興していた「近代に特有の新しい色彩を帯びた」ストア主義に光をあてることによって、デカルトとクリスティナの師弟関係が4ヶ月にとどまらない広がりと深さを有していたと指摘する。

 ユストゥス・リプシウス、ゲラルドゥス・フォシウス、スキピオス、ヘインシウス……と知らない名前を挙られてもさっぱりわからないが、カッシーラ を信じるならオランダに移住したデカルトはこの伝統に四方八方から包囲されていたということだし、クリスティナの方もオランダの文献学者や人文主義者の サークルと親交を結んでいた。

 クリスティナはデカルト哲学を知る以前からストア主義の厳格さに引かれていたが、エピクテートスを尊敬すると言い条、

「しかし、凶暴な主人が単なる気晴らしのためにその片足を切ったとき、この奴隷哲学者が耐え忍んだことは許しがたい。私ならば、哲学などはものともせず、その主人の頭をたたき割ったことであろう」

と言い放つようにもともと血の気が多かったのだ。彼女が情念を肯定するデカルトの新しいストア主義と情念の自然法則を解明した『情念論』に夢中になったのは当然だろう。カッシーラは書いている。

 中世の教義では情念とは罪に他ならず、人間の原初の神聖な起源からの堕落の表れであり結果に他ならなかった。一方、ストア主義にとって情念は病気 である。それは理性の不在であり、ほとんど狂気に近い状態であるとされる。デカルトの倫理はこの両極端を排する。情念を独立した目標および善としてでな く、単なる手段と見なす。情念は、人間に自然にそなわった性向であり現象である限り、疑わしいものでも非難すべきものでもない。個々の情念は、たとえどれ ほど危険に見えようとも、何かよい面をもっている。……中略……この方策で武装した人間は情念を避ける必要もなければ、情念との戦いに空しく身をやつす必 要もない。彼はむしろ情念を生活の幸福と感じるが、情念を善用することによりその幸福にふさわしい人間になろうと努力しなければならない。

 デカルト、コルネイユ、クリスティナはこの新しいストア主義に代表される近代の胎動期に生きていたのである。

 きわめて刺激的な論考だが、それだけに邦訳で割愛された部分が気になる。原著からの全訳版が待たれる。

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