2010年10月25日月曜日

kinokuniya shohyo 書評

2010年10月24日

『名文どろぼう』竹内政明(文春新書)

名文どろぼう →bookwebで購入

「名文をばらまく鼠小僧?」

楽しい本である。休憩時間に読んでいたら、思わず何度も声を上げて笑い出したくなった。または一人でにやりとしてしまう。誰かに見られていたらよほど奇妙 に思われたことだろう。竹内政明は読売新聞のコラム「編集手帳」の執筆者だ。『名文どろぼう』は彼が長年かかって集めてきた、名文、名文句を惜しみなく披 露してくれている。ダジャレあり、語呂合わせあり、唖然とするものあり、ほろっとさせてくれるものありで、とにかくこちらの情緒をくすぐってくれる。

 老人ホーム協会で募集した「シルバー川柳」から「赤い糸 夫居ぬ間にそっと切る」。我々亭主族を落ち着かなくさせるが、何とも上手い。しかし森中 恵美子の「ネクタイを上手に締める猿を飼う」となると、我々は人間とも見られていない。「ネクタイ」に労働の疲れが染み出ていそうで、せつなくなる。十七 文字に込められた世界は深い。

 文人たちが色紙などに粋な文句を書くのは、驚かない。ところがお固いと思われる国文学者も負けてはいない。私もかつて古文の解釈で間接的にお世話 になった事のある池田彌三郎は、旅先から以下のような短歌を書いた絵葉書をガールフレンドに出すそうだ。「××××× ××××××× あはれなり 思ふ ことみな 君にかかはる」空欄にはTPOに合わせて「信濃路に梅を訪ねて」とか「大和路に行く秋惜しみ」などと入れるらしいのだが、純真な好青年の横顔が 浮かんでこないだろうか。

 ところが、この出典(?)を聞いて驚く。池田の師である折口信夫の作なのだが、折口の和歌山出身の教え子が若くして亡くなり、墓参りをした時に 「紀伊の国の関を越え来てあはれなり思ふことみな君にかかはる」と折口は詠んだ。それを借用しているというのである。恩師の挽歌を自分の恋歌に使うとは、 大先生もなかなかのワルである。この歌で一体何人の女性の目を潤ませたのか。

 外国語ネタも面白い。三遊亭歌之介によれば銭形平次と女房のお静はフランス語が話せたというのである。仕事に出かける平次に、お静が大事なものを忘れていないか聞く。
  「ジュテモタ?」
  「マダモトラン」
「十手持った?」「まだ持っとらん」ということだが、上手い! フランスに住んでいるので余計に良く分るのだが、フランス語で「私」は「Je(ジュ)」であり、「〜トラン」と発音する単語はいくらでもある。雰囲気が良く出ている。噺家は耳が良いのだろう。

 かつてフランスに住んでいた写真家の知人が、日本から来たばかりの後輩にフランス語を教えていた。「もちろん」はフランス語で「エビダモン」と言 うけれど「タコダモン」とか「イカダモン」とも言うと真面目な顔で講義をした。純真な彼女は(その後輩は女性だった)早速次の日にフランス人に向かって 「タコダモン」や「イカダモン」を連発したのだが、もちろん通じるはずがない。彼女が、からかわれた事に気づくのは、充分に恥をかいてからである。


 泣かせる話もある。南極昭和基地で越冬する隊員に日本の家族から電報が届く。ある隊員への奥さんからの電報。
  「アナタ」
奥さんの声が響いてこないだろうか。こんな電報を貰ったら、雪原を越えて会いに行きたくなってしまうだろう。この二人がしばらくぶりに再会した時の第一声は、間違いなく奥さんの「アナタ」だったろうと考えてしまう。

 まさに笑いあり、涙ありの名文句が満載だ。仕事や家事に疲れた頭を休ませ、秋の夜長を楽しむための、珠玉の一冊である。


→bookwebで購入

0 件のコメント: