2013年3月30日土曜日

kinokuniya shohyo 書評

2013年03月20日

『月山山菜の記』芳賀竹志(崙書房出版)

月山山菜の記 →bookwebで購入

「ゼンマイはこんなところで芽吹いていたのか!」

3月中旬にもなると、ビニールハウスで育ったものだとわかっていても山菜を売りにしたメニューを注文してしまう。水煮缶詰を堂々使う店に驚いたこともある けれど、「採りたて」とも「今年の」ともうたっていないからこちらの見極めが甘いに過ぎない。スーパーにも一斉に山菜が並ぶ。春の一夜の食卓にはハウスも のでも気分は十分、でもこれにはどうしても手が出ない。かといって天然ものを取り寄せたりするのはこころに合わず、たまたま送っていただくか旅先で食べる などの時々の記憶がつながっていけばいいと思ってきた。


天然山菜の最初の記憶は子ども時分の5月の休日。朝起きると父がいない。昼ご飯のあと母が筵をひいたり灰汁抜きのための大鍋を用意する。午後3時ころに なって帰ってきた父は車の中から籠や袋を取り出し、採ってきた山菜を筵に広げて種類分けする。食べられるもの、食べられないもの、飾るもの。さらに、今夜 食べるもの、保存するもの、近所に配るものなど家族総出で始末する。ゼンマイの綿をとったり月山筍の皮をむいたり子どもの仕事もたくさんあった。こころ浮 き立つ春の1日が、その年の気候次第で前後してやってきた。

     ※

ときどきひどい怪我を負った父も歩いたであろう月山(山形県)が抱く”月の沢”の山菜やキノコについて、「月山頂上小屋」の主人・芳賀竹志さんが長年撮り ためた写真を添えて著したのがこの本だ。先代の小屋主でもある父親と中学生のころから渓流釣りや山菜採りを楽しみ、小屋を継いでからは自ら採取した山菜や キノコを料理して登山者に供しているそうである。

コゴミ、アブラコゴミ、ウド、タラノメ、ウルイ、シドケ、コシアブラ、ワラビ、ゼンマイ、ミズ、アイコ……。これらがどんな場所に生えているのか、まずは 写真が示してくれる。私が大好きなゼンマイが生えている場所の写真には〈通常"ヒラ"と呼ばれる山の斜面。良質のゼンマイが群れなすそこは、とにかく切り 立った険しい環境の地が多い〉とある。50〜60度もあるような崖地にへばりついているそうである。こんな危険なところに、柔らかな綿をかぶって生えてい たとは! 生えている場所を見つけるコツ、秋の下見や道すがらの注意。採るときにはいくら群生していても最低でも全体の3分の1は残さねばならないこと、 株の根元から折らないこと。保存のしかた、おすすめのレシピ、調理上の注意、薬効、名称の由来、古老たちに教えられたこと。

林道や砂防ダムが建設されたり天然のダムと呼ばれた万年雪が温暖化によって減少するなど、半世紀のあいだに目の当たりにしてきた月の沢の変化にこころをい ためながら、原生のブナ林と雪解け水による豊かな生態系の中でおごることなく暮らしてきた知恵を、ご自身の体験から示している。

     ※

今では月山近くのスーパーにも栽培ものの山菜が並ぶそうである。”自然”食志向の高まりに押されて地元の農家が地名を冠した山菜の栽培をはじめれば、ご多 分にもれず季節を前倒しした出荷となる。山にほんとうの春が来て名人たちが摘んだ山菜を売り場に並べても、〈栽培品に季節を先取りされた分、後発組は珍し さから遠のきあぶれる羽目になる〉。あきれるが、納得もする。私たちは食材としての初モノを異様に好む。食材以前のそのもの姿に思いが及ばなくなってい る。「切り身の魚」が海を泳いでいると思っている子どもたちの話は可笑しいけれど、切って売り買いしている大人たちが笑う話ではない。

これから毎春この本を開けば、子ども時分に食べた味の記憶をよみがえらせながら、月の沢に芽吹く山菜たちの姿や物語を思い描くことができるだろう。味覚の 記憶はなにも味覚だけで反復しなくていい。小さな記憶を糧にしてこんな楽しみができるようになったことがとてもうれしい。

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Posted by 四釜裕子 at 2013年03月20日 15:40 | Category : 趣味/実用





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