2013年02月24日
『哲学の歴史 11 論理・数学・言語』 飯田隆編 (中央公論新社)
中公版『哲学の歴史』の第11巻である。このシリーズは通史だが各巻とも単独の本として読むことができるし、ゆるい論集なので興味のある章だけ読むのでもかまわないだろう。
本シリーズは20世紀に3冊あてているが、本巻はその2冊目にあたり、ナチスの台頭でドイツ語圏から英語圏に中心が移った論理学を基礎とする科学哲学とフランス固有の科学哲学である科学認識論エピステモロジーという二つの系統の科学哲学をとりあげている。
この分野はまったく不案内で、「言語論的転回」linguistic turn が20世紀初頭に誕生した論理実証主義をさすということさへ今回はじめて知ったくらいだが、19世紀後半にはじまる前史も、その後の大西洋を越えた思想の展開も実に興味深いものだった。
もう一つ誤解していたのはウィトゲンシュタインの立ち位置である。論理実証主義はウィトゲンシュタインの前期の仕事に、分析哲学は後期の仕事には じまると思いこんでいたが、そうではなかった。ウィトゲンシュタインが大きな存在であるのは間違いないが、『論理哲学論考』が出版されたのはラッセルが主 要な仕事を終えた10年後だし、『哲学探求』の執筆もオックスフォード学派の初期の活動に刺激されてのことだった。ウィトゲンシュタインは主流になったこ とは一度もなく、論理実証主義に対しても分析哲学に対しても孤高の批判者の立場を貫いていたのだ。
英米系の哲学の本というと論理式が延々とつづくものが多いが、本書は論理式は必要最小限におさえ、学説が登場した背景と人間ドラマに焦点をあわせているので読物として面白い。もっとも学説を知りたい人には物足りないだろう。
微妙なのはエピステモロジーを本巻に含めたことである。エピステモロジーは科学哲学というよりは科学哲学史であって、フーコーとの関係からいっても次巻にまわしたほうがおさまりがよかったのではないかと思う。
「総論 科学の世紀と哲学」 飯田隆
20世紀は自然科学がそれまでにない急速な発展をとげ、世界のありようを根本的に変えた。変化の速度は21世紀になっていよいよ加速しているが、 哲学では巨大化していく科学に対抗して人間精神の場所を確保しようという立場と、科学そのものの内部にわけいって科学的知識の確実性とはなにかを考えよう という立場の二つが生まれた。前者が現象学にはじまる現代思想なら、後者は論理実証主義や分析哲学として結実することになる科学哲学である。
著者は科学哲学の発端を1870年代にドイツとフランスで進められた科学と数学の基礎固めに置いている。
1870年代には数学の世界で概念の根本的な見直しがおこなわれた。非ユークリッド幾何学が可能なことがわかり、公理とは何かが問い直される一方、カントルとデーデキントによる実数概念の厳密化がはかられ、数学基礎論という分野が開拓された。
数学が厳密化される過程で伝統的論理学の限界が明かになり、現代論理学が構築された。現代論理学はフレーゲの『概念記法』の出た1879年から ゲーデルの不完全性定理が発表された1931年までのほぼ半世紀の期間に成熟するにいたった。論理学の文の方が英語や日本語のような自然言語の文よりも事 態の構造をより正確に反映しているとする記述理論という立場が生まれ、形而上学的な問題の多くは論理学の文に書き直すと解決してしまったり、無意味である ことがわかるとされた。これが論理実証主義である。
論理実証主義は伝統の全否定と方法的自覚の二本柱からなっており、哲学上のモダニズムといえるが、対象を論理的に表現できる範囲に限定し箱庭的な分析に終始する傾向があった。
この点を批判したのが分析哲学であり、分析哲学は自然言語の論理化に向かった。
本章の末尾の部分では日本の科学哲学を概観している。日本では論理実証主義や分析哲学はごくわずかしか紹介されなかったが、科学に対する信頼は厚 く、1960年代まで日本の論壇を支配したマルクス主義も「科学的社会主義」と称したくらいで、科学肯定という点では同じだった。
ところが1970年代にはいると科学の弊害が広く知れわたるようになり科学の見直しがはじまった。論理実証主義や分析哲学は科学の代弁者と見なされがちだが、素朴な科学信仰を乗り越える思考としてこれから真価が問われる。
「� 自然科学の哲学」 今井道夫/小林道夫
前章で述べられていたように1870年代には数学の土台固めがおこなわれたが、物理学の世界でもマッハやポアンカレによってニュートン力学のよっ て立つ原理が問い直された。ニュートンの絶対空間の概念に疑問が投げかけられ、アインシュタインの相対性原理につながっていくが、自明と思われた基本概念 の再検討には哲学者も参加するようになった。
ニュートン力学に対する疑問はカントの超越論哲学に対する疑問に直結する。カントはニュートンの絶対空間を直観形式として超越論哲学の土台にすえ たが、絶対空間が間違いならどうなるのか。またカントはユークリッド幾何学の公理をア・プリオリな真理としていたので、非ユークリッド幾何学が成立すると なるとア・プリオリな真理そのものが怪しくなる。
こうしてカントの体系を新しい数学と物理学にどう対応させるかが哲学上の大問題となった。新カント派の一方の拠点だったマールブルク大学が論理実証主義の初期の中心となったのは必然だったのである。
本章では同時期のフランスの科学哲学も紹介されているが、ポアンカレとピエール・デュエムの二人に集約されている。デュエムが夭折しなかったらフランスにも論理実証主義が根づいていただろうということである。
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