作家の四季 [著]池波正太郎
[掲載] 2013年03月29日
■まねできない「うまそう」で品のある文章
池波正太郎さんの「旨いもの」の話は、本当に「うまそう」だ。たとえば本書の「私と焼海苔(のり)」というエッセーにある短い文。
「私のように、東京の下町で生まれ、育ったものにとり、焼海苔は切っても切れない間柄になっている。……子供の頃、学校へ行くときの弁当は、ほとんど海苔 弁当で、子供のころはさしてうまいものではなかった。しかし、六十になった、いまの私の、朝の食膳には、焼海苔が欠かせなくなってしまった。あたたかい御 飯を上質の焼海苔で食べる。ほんとうに飽きがこない」
「六十」を目前にした私も、朝の焼海苔は欠かせなくなっている。ごはんと海苔とくれば、お結びも同じではないかと思われるかもしれないが、「あたたかい御飯を上質の焼海苔で食べる」が重要なのだ。
「うまそう」な文章は、まねてもなかなか「うまそう」にはならない。読みながら池波さんの姿を見ている私。つまり池波さんが「うまそう」な方だからだ。次の一文も実にうまそう!
「日本にいると、チーズを口にする機会が少ない私だが、フランスの田舎をレンタカーで旅するときの昼飯には、パンとチーズが欠かせないものになる。景色のよいところへ車を停(と)め、町の酒場で買って来たワインやビールで、パンとチーズをやる」
池波さんの文では、いつも「食べる」ではなく「やる」なのである。こんなに「やる」が似合う人もそういない。
たまにテレビをつけると、食べる番組がやたらに多く、店に行列したり、タレントが変なうんちくを傾けたりしている。何を食べても「わやらか〜い!」「ふわ ふわ〜!」と言っている。君たち、そんなにやわらかいものばかり食べているから顎(あご)が細くなり、決断力がなくなるんだゾ!と、思わず呟(つぶや)い てしまう私。
*
他方、次のような人生への透徹した視線を感じさせる話もいい。たとえば「俎板(まないた)と包丁がない家」。ここで池波さんは、電気掃除機も洗濯機もない時代の「汲(く)み取り式便所」に言及し、大いに嘆く。
「いまの若い人たちは、その肥料の匂いに、『あっ、いやな匂い……』と、顔をしかめる。自分の躰(からだ)から、その〔いやな匂い〕がする物体を排泄(は いせつ)するくせに、『何を言うか!』といいたくなる……人間という生きものの躰は太古以来、少しも変わっていないのだ。現代の人びとの多くは、そのこと を忘れてしまい、何か人間以上の高等動物にでもなった気でいる」
そして「家族は分裂し、新しい家をもとめて若い人びとは散って行く。団地やマンションの、そうした新しい家庭には、このごろ、俎板も包丁もないところがあるそうな。そんな家は、人の住む家ではない。刑務所と同じようなものだ」と、たいへん手厳しい。
さらに、国や集団の過ちにつながるエゴについても語っていて、その言葉は一つひとつ腑(ふ)に落ちるのである。
「六十年生きて来て、いまさらながらに感じることは、我欲のない人ほど幸福になっていることだ……恐ろしいのは、我欲と傲慢(ごうまん)の結果が、すぐに あらわれず、一国家、一団体、一個人それぞれに、我欲の芽がふくらみ、長く潜伏していて、これが表にあらわれ、はっと気づいたときには、手遅れになってい ることだ」
ジャーナリズムに対しても辛辣(しんらつ)だ。「私は……ジャーナリズムを信用しない。できない。これは、終戦のときの、一夜にして白が黒となり、黒が白となった衝撃が尾を引いているからだ。私が信用するのは、自分の眼でとらえた『一個人が表現しているもの』のみ」
池波さんが存命であったなら、今の日本を何と語るであろう。おそらく「ただもう慄然(りつぜん)となるだけだ」とおっしゃるにちがいない。
本書には、1983(昭和58)年から没年となった1990(平成2)年までのエッセー全44編が収められている。人としての品とは何かを忘れないために、私は池波さんのエッセー集をポケットに入れて、ときどき読み返している。
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