2010年7月30日金曜日

kinokuniya shohyo 書評

2010年03月22日

『吉本隆明自著を語る』(ロッキング・オン)

吉本隆明自著を語る →bookwebで購入

「吉本隆明が分る!」

 吉本隆明の『共同幻想論』を高校3年生の授業で扱ったのは、もう20年近い前の事である。もちろん、中々大変だったが、一部の生徒は夢中になって読んで いた。何か自分が今まで出会ったことのない考えと出会うのは魅力的な「事件」であるし、難解であればあるほど向って行きたくなるのは、若さの特権であろ う。とは言え、吉本のある種の作品が「難解」であるのは事実である。

 彼の作品に魅せられながらも、なかなかその本質を捉えられなくて苦労している、私を含む多くの読者たちにとって『吉本隆明 自著を語る』はありが たい作品だ。ロック評論家の渋谷陽一が吉本にインタビューする形の対談集だが、実に分りやすく語られている。吉本の主著をテーマに挙げながら、執筆の目 的、心情等見事に聞き出している。

 一番大切なのは、吉本は常に現役の「詩人」であるということだろう。そして、彼がかつて「軍国少年」であったことだ。吉本の優れている所は、その 事実を隠そうともしないし、自分をごまかしもしない所だ。逆に、何故自分は「軍国少年」であったのか。誰のために死のうとしていたのか。天皇制とは何なの か。というように、そこを自分の考えの出発点としている。これはある意味科学者の目である。そして好奇心に充ちた子供の心である。

 小林秀雄が吉本の前に立ちふさがる。そして吉本は小林と同じ方法を取ろうとはしない。独自の文芸批評の道を探す。物事を感性で捉えるのではなく、 その捉え方の構造をきちんと探っていくのが、彼の手法だ。人を理系文系で単純に分ける事はできないが、それでもやはり理系の力を持っている吉本ならではの 理論だと思える。精神世界を明確に分析しようとの試みは古代から綿々と続いているが、吉本はその基本構造を考えるのに「対幻想」という画期的な概念を作り 出した。

 種々の分野に対し意見を述べるので、彼の本質が見えにくくなるのかもしれないが、吉本はあくまでも文芸批評を考えているのであり、それに多くの分 野の知識を生かしているだけである。故に、専門的知識の末梢において、専門家から批判されようと、彼にとって意味は無い。彼にとって一つの例を示しただけ であり、真に伝えたい所はその向こう側にあるのだ。そのシステムを理解しないと、吉本の論は分りにくい。

 「基本的に文学作品の価値は作者の価値、作者の持ってるあらゆる技術から精神性を含めたものの総和で決まる」という考え方は、従来の文学批評が曖 昧な感性の問題として捉えていた部分を、まるで数学の公式で解くように体系づけようという試みでもある。そしてそれは、今の為政者たちが「このまま普遍的 な国際性に滑り込んでいけるって思ってる気がする」と批判し、現状は「戦前と同じで相当追い詰められている」と指摘する事に繋がる。

 吉本隆明の中で、こういった多分野での発言は、明確に一つに繋がっている。それは、彼が一生をかけて一篇の詩を書こうとしていることだ。自分の納 得できる一篇の詩を書くために、彼は種々の知的活動を繰り広げているように思える。その精神世界を理解するために、この対談は非常に有効且つ楽しい作品 だ。


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