2010年7月8日木曜日

kinokuniya shohyo 書評

2010年07月08日

『中世の覚醒――アリストテレス再発見から知の革命へ』R.E.ルーベンスタイン著/小沢千重 子訳(紀伊國屋書店)

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「12世紀ルネサンスに始まる思想史エンターテインメント」

        池内 恵(イスラーム政治思想史・中東地域研究
              ・国際日本文化研究センター准教授)

 歴史好きは多い。歴史ものの本もよく売れる。戦国武将や幕末維新の志士たちの物語は幾度となく紡ぎ直され、享受される。しかし具体的な人物ではな く、理念が主人公となる歴史物語は、日本ではどうも居場所がない。イスラーム諸国を対象に、現実の政治社会の動きの底に流れる思想史の展開を見続けている 者としては実に残念である。

 欧米の読書人には、理念の歴史というジャンルがかなり確立されていて、一般向けの読み物として広く流通する。『中世の覚醒』はそのよい例だろう。 著者のルーベンスタインは哲学そのものを専門にしているわけではない。国際紛争の研究を専門にしつつ、哲学や宗教が社会と政治に影響を与えてきた歴史を一 般向けに書いている。各地の紛争に宗教が絡む現在、その根底にある「啓示と理性」の対立という思想的課題の重要性を気づかされて当然だろう。

 『中世の覚醒』は近代思想に関する支配的な通念を覆してみせる。覆されるのは啓蒙主義的な近代主義史観である。ガリレオに対する異端審問や、ダー ウィンの進化論を否定する天地創造説などを筆頭例として、世俗の科学的合理思想が、それを阻もうとする頑迷固陋な教会権力や神学者と戦いながら勝利してい く過程として、通俗的な近代西洋の思想史は描かれがちだ。ローマ・カソリック教会を「敵役」に、一六世紀のルネサンスに人間主義や合理主義が花開くことで 近代が幕を開けたとする歴史観である。しかし近代をもたらした思想変革が実はずっと早く、暗黒の中世とされてきた時代の真っ只中に行われていた。このこと への「発見」が、近代史の理解と、今われわれが生きる現代の理解をも大きく変えるような意味を持っているということを著者は示そうとする。

 「一二世紀ルネサンス」と呼ばれるこの知的変革は、ヨーロッパの知識人がアリストテレス哲学をアラビア語訳を通して再発見したことに起因する。思 想史の転換点は往々にして数々の逆説に彩られている。神の啓示の絶対性と優位性を揺るがすことになるアリストテレスの合理主義思想を再発見して取り入れた のは、意外にもローマ・カトリック教会の神学者たちだったのである。啓示に対する理性の勝利に彩られる近代思想のイメージは、教会権力と敵対し、宗教規範 の束縛から人間理性を解き放つという課題を前面に掲げた啓蒙思想に影響されたものであって、一二〜一三世紀のギリシア哲学の合理主義的思想の探求は、啓示 と理性の困難な調和を切実に求める神学者たちの苦闘の歴史だった。

 本書では、ピエール・アベラールが恋愛以外に頭を悩ませていたこと、異端カタリ派の思想はなぜ現れたのか、パリ大学での百家争鳴、ダンテの『神 曲』に登場する忘れられた思想家ブラバンのシゲルスといった例を取り上げて、アリストテレス哲学の再発見によって引き金を引かれた啓示と理性の関係をめぐ る知的緊張が、しばしば生々しい権謀術数と暴力沙汰を伴いながら展開する様子が生き生きと描かれている。

 トマス・アクィナスからドゥンス・スコトゥスを経て、ウィリアム・オッカムのいわゆる「オッカムの剃刀」によって、自然科学と神学が分離され、そ れぞれが別個の道を歩むようになる。ここで始めてアリストテレス主義者は科学的な発見を神学的に解釈しなければならないという重圧から開放されることにな る。

 中世哲学史の専門家にとってはこういった思想史の展開は驚きではないかもしれない。「一二世紀ルネサンス」については、専門的な思想史研究ではす でに一九七〇年代初頭に数々の成果が出版され、八〇年代から九〇年代に日本にも紹介された。しかし広く読書人の間で的確に理解されてきたとはいえない。宗 教的信念が国際社会を動かす要因として浮かび上がることによって、一二世紀における理性と啓示の調和をめぐる知的苦闘の意味が理解できるような状況が今 やっと整ったといえるのではないか。

 西洋中世の神学者たちのアリストテレス哲学との格闘を読んでいくと、彼らにきっかけを与えたイスラーム世界で思想史がまったく異なる道のりを辿っ たことが浮かび上がってくる。なぜイスラーム世界では、九世紀を頂点にしたギリシア哲学の活発な導入と解釈が、啓蒙主義に行き着く知の大転換にも、科学革 命にもつながらなかったのか。イスラーム哲学は一一世紀以降、著しく影響力を低下させていった。重要な画期となったのが神学者ガザーリー(一〇五八– 一一一一)の『哲学者の矛盾』による批判である。その後のイスラーム哲学の関心は特定の領域に留まり、ペルシア文化圏を中心に著しく神秘主義化した宗教思 想の傍流に結合していった。ギリシア哲学の中に含まれていた科学的探究が西洋のように発達することはなかった。合理的哲学と啓示をめぐる神学の弁別を主張 したイブン・ルシュドの議論は「オッカムの剃刀」のように思想史の画期となることはなく、イスラーム世界では周辺化された。もっぱら西洋中世のキリスト教 神学者たちにアヴェロエスというラテン語読みで受容されていく。

 西洋近代に至る過程で生じた、人間主義や合理主義の追求や科学的探究だけが普遍的で唯一の知的発展の道ではない。しかしイスラーム哲学がイスラー ム世界の知的システムの片隅に埋没し、広く社会に影響を与えることを停止したということは、現代のイスラーム世界の知的状況を理解するためにも重要な意味 を持つ。イスラーム世界がなぜそのような知的展開を辿ったのかは本書の主たるテーマではないが、著者は西洋中世との比較からもう一つの「逆説」を示すこと で、ヒントを与えてくれる。教会の神学者であり、それがゆえの制約を受けていたキリスト教徒の学者とは異なり、アラブ圏の哲学者は世俗の知識人で権力者の 庇護を受け法律家や医師といった職を持っていた。自由に哲学的思弁の道を歩むことのできたイスラーム哲学者たちは、宗教指導者の領域に足を踏み入れた場合 には危険視され発展を阻止された。逆に、ローマ帝国崩壊後の社会の混乱の中で、知的活動の唯一の拠り所となったカトリック教会の中で、異端として処罰され る危険を恐れながら、神学者たちが自ら啓示と理性の対立を突き詰めていった先に、近代思想は生まれたのである。


*「scripta」第9号(2008年9月)より転載


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