2010年7月25日日曜日

asahi shohyo 書評

漂流 本から本へ

女ざかり [著]丸谷才一

[掲載]2010年7月18日

  • [筆者]筒井康隆(作家)

■ただごとでない面白さ

  なにしろ十年に一度しか長篇(ちょうへん)を書かないと言われている丸谷才一の作品だから常に待ちかねていて、そのほとんどすべてを読んでいたのだが、こ の『女ざかり』には感心した。当時の書評には「ディケンズ的な長篇の技法が駆使されていて、その巧みさたるや退廃的ですらある」と書いている。この評は丸 谷氏のお気に召したようで「退廃的とまで褒めてくれたのはありがたい」という礼状が来たりもした。実際この作品の面白さたるやただごとではなく、ベストセ ラーになり、映画化されたのも当然と言える。作者の最高傑作のひとつであろう。

 女主人公は新聞社の論説委員だが、ある日の論説が政府に献金している宗教団体の忌諱(きき)に触れ、政府を通じ新聞社に圧力が かかって彼女は転出させられそうになる。彼女に論説をやめさせなければ、新社屋建設用の土地を払い下げてやらないと言うのである。ここで彼女を助けようと するのが、論説委員室の同僚で以前彼女から仕事を助けてもらったもと社会部の辣腕(らつわん)記者、恋人の文学部教授、彼女の親衛隊とも言える有名な日本 画家その他、以前連載されたインタヴュー欄で彼女から取材されて以来彼女に魅せられてグルーピーになってしまった各界の大物たちであり、さらには大学院に 通っている娘の友人の、日本史の助教授や大蔵官僚といった男たちである。偶然のこととはいえ、登場人物のこうした布陣はたまたまぼくが書いたばかりの『パ プリカ』と同じだったのですっかり嬉(うれ)しくなり、尚(なお)さら作品にのめり込んだのだ。

 これらの人物たちの会話が面白い。テーマとも言える贈与論は出てくる天皇論は出てくる、事件のもととなった産児制限や妊娠中絶 の問題は出てくる、その他作者お得意の全方位的な雑学のまさに総動員であり、これらがストーリイに巧みに配置されていて、ペダンチックな作品世界に引きず り込まれてしまうのだ。また社説は、そのまま本当の社説にしてもおかしくない文章で、社説欄そのままの字数と行数で書かれていたりして、これもこの作家に しかできない芸当だろう。意外な展開は、もと女優でヒロインの伯母の登場だ。この女性が戦時中に知りあい、抱き合ったりもした兵士が、今や総理大臣になっ ているのである。クライマックスはこの伯母とヒロインが総理を訪ねて官邸に乗り込むくだりなのだが、ここでまたしても意外な人物が登場する。結末は書かな い方がいいだろう。

 つい昨年のことだが、某テレビ局でレギュラー出演している番組の小生のコーナーで、この作品を取りあげた。しかるに女子アナの 誰もこの作品のことを知らず、前もって読んでおくことを強いたところ、マスコミにかかわるテーマであっただけに三人全員が大喜びし、面白かったと口を揃 (そろ)えたのだ。今この小説があまり読まれていないらしいことが不思議だったのでamazonで検索してみたところ、なんと品切れ。さっそく丸谷氏にそ のことを伝えると、しばらくしてから「増刷になりました。友情に感謝」というはがきが来た。その昔「ベトナム観光公社」を書評で絶讃(ぜっさん)され世に 出してもらった恩返しになったのかなと思い、そのはがきは大事にしている。

    ◇

 1993年、文芸春秋から刊行。現在は文春文庫に。

表紙画像

女ざかり (文春文庫)

著者:丸谷 才一

出版社:文藝春秋   価格:¥ 750

表紙画像

パプリカ (新潮文庫)

著者:筒井 康隆

出版社:新潮社   価格:¥ 700

表紙画像

ベトナム観光公社 (中公文庫)

著者:筒井 康隆

出版社:中央公論社   価格:¥ 580

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