2010年7月27日火曜日

asahi shohyo 書評

全体主義 [著]エンツォ・トラヴェルソ

[掲載]2010年7月25日

  • [評者]姜尚中(東京大学教授・政治思想史)

■20世紀のイメージを要約した概念

  20世紀は「極端な時代」であった、と説いたのはエリック・ホブズボームである。科学・技術の進歩によって叶(かな)えられた目も眩(くら)むような豊か さと、戦争と殺戮(さつりく)の禍々(まがまが)しいほどの陰惨さ。一方の極にはアメリカニズムを代表するフォード車があり、他方の極にはアウシュビッツ のガス室がある。わたしたちを今も当惑させるのは、なぜ科学・技術の進歩がナチズムのような「新しい野蛮」と結びつき、身の毛がよだつような大量殺戮をも たらしたのか、ということである。

 ここに「全体主義」という概念が浮かび上がってくる。なぜなら、この概念こそ、20世紀のイメージを最も要約しているからであ る。本書は、この「全体主義」という概念を歴史的な脈絡の中で辿(たど)りつつ、それが何を意味し、何を隠蔽(いんぺい)し、さらに何を歪曲(わいきょ く)してきたのか、その変遷を明らかにする思想史的な試論である。

 本書は前半で、第1次世界大戦後に産声をあげた「全体主義」の概念が、ファシズムやナチズムに抗(あらが)う「反ファシズム」 的な亡命知識人たちによって広く普及し、さらに左翼から「反スターリニズム」の狼煙(のろし)が上がってくる経緯を描き出す。後半では、冷戦以後、「全体 主義」概念の中心がアメリカに移動し、「全体主義」が事実上、反共主義のマスターキーへと変貌(へんぼう)を遂げていく過程が抉(えぐ)り出されていく。 やがてフランスや東欧で共産主義即(すなわ)ち「全体主義」という構図が定着し、そしてベルリンの壁崩壊とともに「全体主義」は西側の勝利を正当化する最 もありふれた道具となっていくのである。

 この「全体主義」という概念が辿った数奇な運命をふり返りつつ、著者は「全体主義」を、唯一の党、絶対的独裁者、国家のイデオ ロギーといった「関連特徴」に還元することで、「全体主義」が実はナチズムとスターリニズムの起源、その社会的内容、そしてその展開と目的を完全に無視し ていることを暴き出すのだ。

 たいへんに刺激的かつ示唆に富む好著である。

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 柱本元彦訳/Enzo Traverso 57年生まれ。ユダヤ問題を研究。『ユダヤ人とドイツ』。

表紙画像

全体主義 (平凡社新書)

著者:エンツォ・トラヴェルソ

出版社:平凡社   価格:¥ 798

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