2010年7月6日火曜日

asahi shohyo 書評

ゼロ年代の50冊

〈帝国〉 [著]アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート/帝国以後 [著]エマニュエル・トッド

[掲載]2010年6月27日

■歴史の流れ 予見した大著 【〈帝国〉】

  20世紀末、米国は「戦後最長の好景気」にわいていた。1995年に就任したルービン財務長官の「強いドルは米国の国益」政策のもと、世界中のマネーは いったん米国に集中する。実物経済から金融経済へ。95年は米国の「金融帝国」化元年だったとする経済評論家もいる。その〈帝国〉を成立させる必須の条件 は、世界中のマネーが自由に国境を超えて有利な金融商品に流れ込むこと、つまり「資本のグローバル化」だ。

 2001年の同時多発テロ、その後のイラク戦争、さらにサブプライムローン問題に端を発した金融危機。ゼロ年代の歴史の流れ は、〈帝国〉をキーワードに眺めるとすっきりする。『〈帝国〉』が、難解な大著ながらベストセラーになった理由もそこにあるだろう。50冊を選定した識者 アンケートでは歴史学者の成田龍一さんが「これまでの帝国主義の概念に代わり、90年以降の状況を踏まえ、あらたに〈帝国〉として大国覇権の状況を批判し た著作」と評した。

 本書のいう〈帝国〉とは、アメリカ合衆国のことではない。中心を持たず領土を持たず、経済・文化のグローバルな交換を有効に調 整しようとする、国民国家を超えた主権形態を指す。著者は古典からポストモダン思想までを動員して論じるが、「現実の精密な検証を欠く」という批判も受け た。

 読者からも「大学の研究会で本書の紹介を担当した。ポストモダン思想を理解するのに、多大の時間を費やした。なぜ米国で爆発的 に売れたのか」(東京都の小林進さん・81)、「帝国のグローバル化も、国民国家の主権そのものの衰退を意味するものではない」(茨城県の池田俊夫さん・ 81)といった感想が寄せられた。

■アメリカの没落 冷徹に提示 【帝国以後】

 同時テロに続くアフガン空爆で、世界には反米感情がうずまいた。ネグリ/ハートとは違う文脈で「アメリカ=帝国」論が盛んにな りもした。02年、同時テロ1周年にフランスで発売された『帝国以後』は、そうした風潮にも乗ってベストセラーになった。

 だが本書は、あまたある俗流反米本とは次元が異なる。著者はエマニュエル・トッド。識者アンケートで政治学者の広岡守穂さんが 「家族形態がルネサンス後のヨーロッパ史の違いを決定づけたという『新ヨーロッパ大全』での説以来、彼の本には注目している」という人口学者、人類学者 だ。

 トッドは、識字率と出生率に着目。「女性が読み書きを身につけると、受胎調節が始まる」としたうえで、人口と政治体制とが相関 する世界史観を示す。イスラム圏を含め世界の人口は安定・均衡に向かい、やがて民主主義へと移行するというのが著者のシナリオだ。であるならば、いたずら に反テロ戦争を仕掛けるアメリカは「世界にとって無用のもの」。本書の提案は「アメリカの凋落(ちょうらく)というものをすべての国にとって最善のやり方 で管理すること」だと冷徹に断じた。

 識者アンケートで文芸評論家の田中和生さんが「9・11以降の新しい世界像をいちはやく提示した」と評価。読者の神奈川県・萩 谷篤思さん(67)は「人間は物事を実質より見かけやブランドで判断し、過ちを犯す。日本人のアメリカに対する判断も同じかもしれない。沖縄基地問題など を検討する上で参考となる」、神奈川県の片山豊さん(64)も「日米の同盟関係はこのままでいいのか、考えさせられた」と書いてきた。

 ところで記者は01年9月11日、世界貿易センタービルの真下近くにいた。二つの高層ビルが崩落する瞬間の地響きを聞き、その 後、ヒステリックに右傾化した"自由の国"アメリカの急変ぶりに、戦慄(せんりつ)したのをよく覚えている。同時テロの直前/直後に書かれた二つの書物 が、その後急変する世界をほぼ正確に予言していたという学問の峻厳(しゅんげん)さに、別の意味で戦慄を覚えている。(近藤康太郎)

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 「ゼロ年代の50冊」とは?

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表紙画像

<帝国> グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性

著者:アントニオ・ネグ リ・マイケル・ハート

出版社:以文社   価格:¥ 5,880

表紙画像

帝国以後—アメリカ・システムの崩壊

著者:エマニュエル トッド

出 版社:藤原書店   価格:¥ 2,625

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