2010年7月2日金曜日

kinokuniya shohyo 書評

2010年06月30日

『自由をつくる 自在に生きる』森博嗣(集英社新書)

自由をつくる 自在に生きる →bookwebで購入

「自由とは人間だけが生み出す人工的なイメージである」

 天才、森博嗣による「自由論」である。
 森は自由に生きてきた人である。いまも自由だろう。だから、凡人である私たちはその生き方を特別視して その自由な姿勢を、天然のものであると見なしてしまう。大学教授とミステリィ作家の二足のわらじを履けるのはスゴイ、自分にはできない。と思考停止する。 別に思考停止してもいいのだが、そういう生き方ができるノウハウを公開してくれたので読む。廉価な新書で、いま同時代を生きている天才の言葉を読めるの だ。学ぶ。自分の考えている自由と、森の自由を比較する。比較することで、自分の自由が見えてくる。見えてくれば自由に近づくことができる。

至言が多い。

自由とは「自分の思った通りにできることです」という。さらっと書く。剣豪のような表現だ。
思ったようにできることは、現代社会では不可能と思われている。カネがいる、時間がいる、家族を説得する、会社の有給休暇を取得する。もろもろの雑務が浮 かぶ。何よりも、自分が本当に自由を欲しいと思っているのか。あやしい。自由であることをもてあますのが人間かもしれないのだ。

それでも、森はその自由を実践してきたし、実現してきた。もう一生食べるのに困らないお金がある。ゆえに自由がある。

僕が感銘したのは、人間だけが自由について考えているという記述だった。

自由とは、人間がつくる、人工的な概念なのである。
それゆえに不自然である。不自然であることのなかに自由がある。と僕は理解した。

たとえば、夢と自由について論じた記述がある。


どんな場合であっても、人間は自分が思ってもいない方向へは決して進めない。人に話すときには「いやあ、思ってもみない 幸運でしたよ。」とか、「こんなふうになるとは予想もしていませんでしたね」と謙遜するけれど、それはけっして正確ではない。必ず、よい結果というものを 夢見るのが人間なのだ。そして、その人が見た夢よりもすばらしい現実は、絶対に訪れないのである。すべては本人の想定内、といって間違いない。これはつま り、実現したかったら、少なくとも、そうなることを夢見る、成功する状態を予測することが必要である。自由になりたかったら、自由を夢見ることから始めな くはいけない。知らないうちに自由になるなんてことはありえないのだ。

 僕は、夢を実現するためのノウハウを開陳するような人間をどこか軽蔑していた。しかし、自己啓発を一生書かないだろうと思っていた天才森にして、 こう書いた。これは僕にとってはちょっとした事件である。




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