2010年7月14日水曜日

asahi shohyo 書評

ナマコを歩く—現場から考える生物多様性と文化多様性 [著]赤嶺淳

[掲載]2010年7月11日

  • [評者]平松洋子(エッセイスト)

■ナマコから浮かぶアジアの歴史

 ちょうど二十年前、衝撃的な大作ルポルタージュが登場した。文化人類学、歴史学、生物学、民俗学、水産学……縦横に境界を超え、さ らには神話の趣をも持ち合わせた。その本こそ鶴見良行著『ナマコの眼(め)』。のたりのたり海底を這(は)う不可思議な棘皮(きょくひ)動物に視座をもと め、辺境から日本とアジアの歴史を実証的に捉(とら)えなおす方法論に圧倒的な独自性があった。一読して名著と感動した興奮は、いまもまったく色褪(あ) せない。

 本書は、その鶴見良行に学び、十三年間ナマコをテーマに選んで地域研究に携わってきた著者による。表題が目に飛びこんできた瞬 間、わたしは『ナマコの眼』を継承する一冊であることを直感した。ナマコの眼差(まなざ)しを携え、海の民を主人公にして歩き、考える——それこそ鶴見良 行のフィールドワークを貫いた主軸だったから。

 歩くのはフィリピンのマンシ島、日本の利尻、中国の大連、そして韓国、アメリカ。ナマコの生産・流通・消費の現場で、異なる歴 史や経済、文化にナマコが奥深く関(かか)わっている事実を掘り起こしてゆく。

 そもそもナマコは定着性の動物でありながら、グローバルな役割を任じてきた。かつて乾燥ナマコを珍重した徳川幕府は、外貨獲得 のために中国向けの重要な輸出製品として扱った。その中国では、清代に入ってナマコの調理法が発展し、多様な食文化が生みだされる。現在の大連ではナマコ のサプリメントや栄養ドリンクまで開発されてナマコブームに沸いているが、それを支える背景には日本産の塩蔵ナマコの存在がある……歩きながら浮かんでく るのは、国境を超えた多重な地域関係、アジア史のダイナミクスだ。

 著者は、地球環境主義下でのナマコ保全の動きにも一石を投じている。生態系と人間の関係性への理解は、捕鯨をめぐる問題解決に も糸口を与える。なんとナマコはクジラにも通じているのだった!

 それにしても。ナマコの深みに嵌(はま)ったひとはつねに楽しそうなのだ。ナマコの妖(あや)しい魅力、いや魔力のせいなの か。

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 あかみね・じゅん 67年生まれ。名古屋市立大准教授(東南アジア地域研究)。

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