最古の「大嘗宮」一部か 奈良・藤原宮跡で初の出土
天皇即位後の儀式をす る「大嘗宮」の跡=1日午前、奈良県橿原市、中里友紀撮影
奈良県橿原市の藤原宮(694〜710)跡で、「大嘗宮(だいじょうきゅう)」の一部とみられる建物跡が見つかり、奈良文化財研究所が1日、発表した。 大嘗宮は、天皇が即位後、新しくとれた穀物を神に供える儀式「大嘗祭」を営む仮設の宮殿。奈良市の平城宮(710〜84)跡では複数が確認されているが、 藤原宮跡では初めてで、最古の出土例になる。奈文研は「藤原宮の大嘗宮が後の時代の原型になった可能性もある」としている。
奈文研によると、今回調査したのは、役人らが働いた朝堂院(ちょうどういん)の広場部分で、天皇が執務した大極殿院(だいごくでんいん)の南側。
建物跡は掘っ立て柱式の1棟で、東西12メートル、南北3メートル。平安時代の儀式書「儀式」などに照らすと、大嘗宮の北東部に位置する「膳屋(かしわ や)」とみられる。膳屋は天皇が儀式で使う穀物の調理場。南側に「正殿(せいでん)」などがあったとみられ、今後調査する。建物跡を囲むような形で塀跡と みられる柱穴(直径50〜60センチ)約40個と、建物跡の西と北西で門の遺構とみられる大型柱穴(1辺90〜195センチ)4個も出土した。
奈文研は、今回見つかった遺構の位置や配置が、平城宮跡で確認された6人の天皇に関する大嘗宮跡とほぼ一致したとしている。藤原宮では文武(もんむ)天 皇と元明(げんめい)天皇が即位したとされるが、今回の遺構がどちらに関連するものかは不明という。大嘗祭は7世紀後半の天武天皇の頃に始まったとされる が、その遺構は飛鳥京では見つかっていない。大嘗宮は儀式終了後に解体されたとされる。
現地説明会は3日午後1時半。問い合わせは奈文研都城発掘調査部(0744・24・1122)へ。(渡義人)
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