2010年7月30日金曜日

kinokuniya shohyo 書評

2010年04月20日

『山のパンセ』串田孫一(岩波文庫)

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「人にとって山とは何か」

先日休暇で地中海方面へ出かけた時に、なぜか山の本を持っていった。海を見ながら山について思いをめぐらすのも悪くないと思ったのだ。串田孫一を教えてく れたのは、自身も詩を書いていた文学少女だったが、もう30年以上前の事だ。その時は彼の随筆にそれ程強い印象が残ったわけではないが、いつ思い出しても 何だか懐かしくなる文章なのである。人に媚びる事の無い、まさに山そのもののような雰囲気が心地良い。

 『山のパンセ』は筆者の自選随筆集だが、題名の通り山について思った事、山で思った事などが独特の語り口で綴られている。串田は山登りに適した良 い季節を選んで山登りをするわけではない。結構冬に誰もいない山に登ったりしている。特別な目的のために登るのでもないようだ。「普通の生活を送りなが ら、何かの折に襲って来るような心細さが、山へやって来ても同じように襲いかかる」と言い、「私は山へ来て、普段と少しも変わらない自分を見るようになっ て来た。」と語る。

 何かを求めて山に行っても、山は何も答えてくれないのだろう。もともとそんな事を期待することが間違っているのだ。山と対峙する事は、自己と対峙 する事なのかもしれない。山へ行き、歩き、水を飲み、少々の食料をとり、一服し、美しい風景があれば絵や文章にする。ただその繰り返しだ。音楽すらも必要 ない。「もともと山と音楽の世界とは非常にかけ離れているものと思っている。」自然は人の技巧を超越するのか。

 濃霧のせいで期待していた風景が見られない時、「霧の彼方にはすばらしい山があるはずだと思って自分を不幸にするよりも、今は感覚の一部分を自然 にあずけてそれを特別に不自由なことと思わず、許された範囲のことを、許された力だけで考えるのを悦ぶことにしましょう。」と考える。詩人で哲学者である 筆者ならではの、心に沁みる想いである

 夜に山中を歩いていても恐怖はない。熊と出合ったらと考えても「こんな時に私が想像する熊は、ちっとも凶暴ではなくて、恐縮している容子だった。 話をすれば通じるような熊しか考えられなかった。」と、ユーモアの余裕さえある。だが、一人歩きをして行き着くところは、「私はこの寂しさが欲しかったこ とに気がついた。」となる。

 この寂しさは決してつらいものではないだろう。志賀直哉が『城の崎にて』で描いた心境のようなものだろうか。都会での日常生活では中々気づかな い、世界の「核心」のようなものとの触れ合いの瞬間かもしれない。哲学の永遠の問いである「自分とは何か?」に一歩近づけるようなものかもしれない。

 紹介される草花や鳥の声に想いを馳せるだけでも、楽しい作品だ。山にいなくてもその明るい孤独が伝わってくる。松尾芭蕉の『奥の細道』を清書した 素竜の「一たびは座してまのあたり奇景をあまんず」といったところだろうか。最後の方で「表現する最上のむつかしさは、何を隠すか、何を書かずにおくかと いうことにあると思っている。」などと書かれると、再読し行間を読み取りたいと考えずにいられない。


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kinokuniya shohyo 書評

2010年03月22日

『吉本隆明自著を語る』(ロッキング・オン)

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「吉本隆明が分る!」

 吉本隆明の『共同幻想論』を高校3年生の授業で扱ったのは、もう20年近い前の事である。もちろん、中々大変だったが、一部の生徒は夢中になって読んで いた。何か自分が今まで出会ったことのない考えと出会うのは魅力的な「事件」であるし、難解であればあるほど向って行きたくなるのは、若さの特権であろ う。とは言え、吉本のある種の作品が「難解」であるのは事実である。

 彼の作品に魅せられながらも、なかなかその本質を捉えられなくて苦労している、私を含む多くの読者たちにとって『吉本隆明 自著を語る』はありが たい作品だ。ロック評論家の渋谷陽一が吉本にインタビューする形の対談集だが、実に分りやすく語られている。吉本の主著をテーマに挙げながら、執筆の目 的、心情等見事に聞き出している。

 一番大切なのは、吉本は常に現役の「詩人」であるということだろう。そして、彼がかつて「軍国少年」であったことだ。吉本の優れている所は、その 事実を隠そうともしないし、自分をごまかしもしない所だ。逆に、何故自分は「軍国少年」であったのか。誰のために死のうとしていたのか。天皇制とは何なの か。というように、そこを自分の考えの出発点としている。これはある意味科学者の目である。そして好奇心に充ちた子供の心である。

 小林秀雄が吉本の前に立ちふさがる。そして吉本は小林と同じ方法を取ろうとはしない。独自の文芸批評の道を探す。物事を感性で捉えるのではなく、 その捉え方の構造をきちんと探っていくのが、彼の手法だ。人を理系文系で単純に分ける事はできないが、それでもやはり理系の力を持っている吉本ならではの 理論だと思える。精神世界を明確に分析しようとの試みは古代から綿々と続いているが、吉本はその基本構造を考えるのに「対幻想」という画期的な概念を作り 出した。

 種々の分野に対し意見を述べるので、彼の本質が見えにくくなるのかもしれないが、吉本はあくまでも文芸批評を考えているのであり、それに多くの分 野の知識を生かしているだけである。故に、専門的知識の末梢において、専門家から批判されようと、彼にとって意味は無い。彼にとって一つの例を示しただけ であり、真に伝えたい所はその向こう側にあるのだ。そのシステムを理解しないと、吉本の論は分りにくい。

 「基本的に文学作品の価値は作者の価値、作者の持ってるあらゆる技術から精神性を含めたものの総和で決まる」という考え方は、従来の文学批評が曖 昧な感性の問題として捉えていた部分を、まるで数学の公式で解くように体系づけようという試みでもある。そしてそれは、今の為政者たちが「このまま普遍的 な国際性に滑り込んでいけるって思ってる気がする」と批判し、現状は「戦前と同じで相当追い詰められている」と指摘する事に繋がる。

 吉本隆明の中で、こういった多分野での発言は、明確に一つに繋がっている。それは、彼が一生をかけて一篇の詩を書こうとしていることだ。自分の納 得できる一篇の詩を書くために、彼は種々の知的活動を繰り広げているように思える。その精神世界を理解するために、この対談は非常に有効且つ楽しい作品 だ。


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kinokuniya shohyo 書評

2010年07月28日

『パリでメシを食う。』川内有緒(幻冬社文庫)

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「真のパリを知るための一冊!」

 日本に一時帰国して、出会う人達にパリに長年住んでいると話すと、「素敵ですね。」とか「うらやましい〜」等と良く言われる。自分が好きで住んで いる町だし、確かに美しい所なので、そう言われるのは嬉しいのだが、果たして彼らはパリをどのように想像しているのだろうと考えることがある。芸術の都、 ファッションの街、ワイン、食文化等等パリの代名詞は多い。しかし、どれもがパリの一面を捉えているに過ぎない気がする。では、パリとはどんな街なのだろ う。

 川内有緒の『パリでメシを食う。』はレストラン紹介ではない。パリで働いて自分で「メシを食って」いる日本人の人生の軌跡だ。三ツ星レストランの 料理人、アーティスト、カメラマン、スタイリスト等と並べると、サクセスストーリーの本かと思うかもしれない。だが、決してそうではなく、むしろ一人の人 間が自己を探してあがいている「自然な」姿が描かれている。

 私のオフィスから歩いて十歩の所にある三ツ星レストラン、アストランスで働いていた女性は、30歳を目前にして突然パリに発つ。料理学校や研修で 苦労を重ねながらも料理の世界に魅せられ、とうとうアストランスのシェフに働かせて欲しいとアポ無しで頼み込む。そして、一年間充実した体験をする。

 美大も出ていない「エツツ」はフランスで絵を描いて生活していこうと突然決める。パリでアパルトマンを不法占拠しているアーティスト集団の中に 「自然と」入り込んでしまう。そして、絵を描き始め、それで「メシを食う」事ができるようになってしまった。彼女は言う「夢は夢だから叶わないって決め ちゃう人っているでしょう。自分で見切りをつけてる。でもつけなければ、絶対叶うのにねえ」

 大学の先生の一言でカメラマンになったシュン、病気を機にパリで漫画喫茶を開いた野村、一着数十万円から数百万円もする服を作るオートクチュール で働く周子、偶然のアルバイトからスタイリストになった「メガネ」等、一見異色な人達が次から次へと登場する。いかにもパリらしいと思うかもしれない。し かし、そこに流れる「パリらしい」という雰囲気の正体は何だろうか。

 実らぬ恋を何度もしながら、国連の正規職員となった「山口」を見て、筆者は思う。「この人は別にスーパーウーマンでもなく、ごく普通の人だという ことだ。」確かにそうだろう。だが、普通の人達をまるで普通ではない存在に変えてしまうものは何だろう。それこそが「パリ」の正体ではないだろうか。鍵は 周子の語る「私にとってパリの魅力は自分が自然でいられる人間関係です」という言葉だ。

 彼らは自分を探しにパリに来る。そして、パリはそれを自然に受け入れる。無理をしないでいいんだよ、ありのままでいいんだよ、とささやきかける。 何かに夢中になれば、何のしがらみもなしにそれを認めてくれる。その努力と成果も含めて。パリを作り上げているのはフランス人だけではない。多くの国の 人々が「パリ」という世界を構成している。そこに流れる心地よい風を、この一冊は見事に切り取っているようだ。


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kinokuniya shohyo 書評

『荒地の恋』ねじめ正一(文春文庫)

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「詩人とは何者か?」

 私たちはよく人を二分化して捉える。金持ちと貧乏人、意地悪な人と優しい人、太っている人と痩せている人等、例を挙げるときりがない。しかし、詩 人をどう捉えれば良いのだろうか。詩人と詩人ではない人、詩を詠む人と詠まない人。何だか違和感が残る。だが、世間で「詩人」と呼ばれる人が存在するのは 間違いない。

 酒神、詩神、女神に愛された田村隆一。彼などはどうみても典型的な「詩人」というイメージに相応しい。その時私たちの胸にどのような像が浮かぶの か。酒を飲んで家庭を顧みない、次から次へと恋愛を繰り返す、そんな放蕩的イメージか。では普通のサラリーマン(そんなものが存在するのかどうかは別とし て)は詩人ではないのか。毎日会社に出勤し、家庭や友人を大切にしていては素晴しい詩は書けないのか。

 田村の中学時代からの親友である北村太郎は、新聞社の校閲をしながら妻子との生活を大切にし、普通の人として暮らして来た寡作の詩人である。そん な彼が田村の妻の明子と破滅的な恋をする。北村53歳の時である。それからの北村の半生を描いているのが、ねじめ正一の『荒地の恋』だ。李白と杜甫ではな いが、大酒を飲み天才的な詩才を見せる田村と、勤勉な北村の確執。それを小説仕立てで見事に描いている。
 
 何度も結婚を繰り返す田村は、二度目に明子と会った時、突然「僕と死ぬまで付き合ってくれませんか」と言う。「殺し文句である。田村の詩も、田村という 人間も、もしかしたら田村の人生も、殺し文句で出来上がっている。」田村隆一は生まれながらの詩人らしい。その田村の妻を北村は奪うのである。北村は妻子 を捨て明子と暮らし始める。奇しくも「明子」というのは、事故で亡くなってしまった、北村の最初の妻の名前だ。

 罪悪感と貧乏に悩まされながらも、北村と明子は二人で暮らす。田村は若い子と暮らし始める。だが、それも長くは続かない。自分の書いた詩が予言と なって彼の前に現れる。「詩が自分の未来を言い当てる、そのことに思い至って、詩を書くのが恐ろしくなった時期もあった。だが、北村は書き続ける。今まで の寡作な時間を取り戻すかのように、彼は仕事をする。

 「田村隆一は詩のためにだけ生きている男である。」どんな状況でも、田村は一人でいるのが寂しく、北村に会いたくなれば「北村あ……会いたいんだ よお—!」と電話し、北村は必ず会いに行く。結局そんな田村を明子は見捨てられない。鮎川信夫の友情、捨てた妻子との問題、新しい出会い、若い友人たちの 応援、宿痾の病、種々の要素が絡み合いながらも、そこから浮かび上がって来るのは、鬼才田村隆一と対峙する北村太郎の魂だ。

 太宰治、坂口安吾等、破滅型の作家は多い。だが、破滅的人生を送った者が全て作家になる訳でもなければ、そのような人生を送らなければ作家になれ ないとも言えないだろう。北村も決して詩を書くために破滅的半生を送った訳ではない。ただどうしようもない情熱に囚われ、それを追いかけただけだ。そし て、詩を書いた。結局詩人とは何かという答えは出ない。それでも私たちは北村太郎は間違いなく詩人であったという、揺るがせない事実を知ることはできる。


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2010年7月28日水曜日

asahi shohyo 書評

漂流 本から本へ

存在と時間 [著]ハイデガー

[掲載]2010年7月25日

  • [筆者]筒井康隆(作家)

写真2010年2月、東京都内で開いた朗読会の楽屋で、舞台の準備をする鏡の中の筒井さん=郭允撮影     

■超難解、苦しみが喜びに

  中央公論社「世界の名著」に収録されている原佑訳『存在と時間』は、何しろ二十世紀最大の著作と言われているだけに、完読にはずいぶん時間がかかった。だ から読み終えた時の充足感は大きく、その内容の受け売りをしたくてならず、ついに「誰にもわかるハイデガー」と題して内容おまかせの講演依頼があればこれ をやり、とうとうカセットブックにまでしてしまったのだから、よくまあのめり込んだものだ。

 ハイデガーは人間という存在者を現存在と表現する。「現存在は、他の存在者のあいだで出来(しゅったい)するに過ぎない一つの 存在者ではない。現存在が存在的に際立っているのはむしろ、この存在者にはおのれの存在においてこの存在自身へとかかわりゆくということが問題であること によってなのである。だが、そうだとすれば、現存在のこうした存在機構には、現存在がおのれの存在においてこの存在へと態度をとる或(あ)る存在関係を もっているということ、このことが属している」といった超難解な文章を苦しみながら読んでいくうち、読解できた時の喜びに伴い、苦しみそのものが愉(た の)しくなってくるのが不思議だ。

 さらに言語の厳密な定義が哲学には不可欠であることを教えられるうち、自分は言葉の意味をこれほど厳密に区別して使っているか という反省に至ったりもする。例えば恐れについては、知っているものが突如性を伴って出現した時は「驚愕(きょうがく)」、見知らぬものが徐徐に近づいて くる場合は「戦慄(せんりつ)」、見知らぬものが突如性を伴って出現した時は「仰天」という具合に、恐れの種類を厳密に規定しているのだ。

 ハイデガーは早く言ってしまえば「死を想(おも)え」という哲学である。そして死を実に魅力的に書いている。と言っても青年を 死に向(むか)わせるようなものではない。逆に、死があるからこそ生の意味を認識できると言っているのだ。まず死に対して向き合うことによって、その物凄 (ものすご)い形相をした死に打ち砕かれる。そうでない限り死から眼(め)をそむける頽落(たいらく)に陥ってしまって、死をあいまいな現象にし、不安を 単なる恐れに逆転させてしまうのだ。こうした非本来的な存在のしかたには、空談、好奇心などさまざまなものがあり、これでは本来的な自分に直面して死を想 うことはできない。何度も死を想うことに到来すれば、あるべき自分を了解することができる。そして現在を自分の内から開放することができるのだ。つまりは 現在の自分の本来的な存在のしかたを知り、真に他者と出会うこともできるというのである。

 ハイデガーは後年ナチスへの接近などで非難されることになったが、こうした自分のなすべきことへの真剣さから、おのれが引き受 けている遺産つまり伝承の中から宿命を選んだことが関係したのかもしれない。むろんそんなことでこの大著の価値が僅(わず)かでも下がるということはあり 得ないのだ。

 筒井康隆のつくり方とでも名づけるべきこの「漂流」はこれで終(おわ)る。ハイデガーが言うように、哲学書こそは書物の中の書物なのであるから、ここにおいていったん漂着したのだと思っていただきたい。=終わり

    ◇

 中央公論社「世界の名著62」で1971年刊行(原佑・渡辺二郎訳)。現在は岩波文庫、中公クラシックスなどで。

表紙画像

存在と時間〈1〉 (中公クラシックス)

著者:ハイデガー

出版社:中央公論新社   価格:¥ 1,680

表紙画像

存在と時間II (中公クラシックスW29)

著者:ハイデガー

出版社:中央公論新社   価格:¥ 1,628

表紙画像

存在と時間〈3〉 (中公クラシックス)

著者:ハイデガー

出版社:中央公論新社   価格:¥ 1,680

kinokuniya shohyo 書評

2010年07月28日

『アテネ 最期の輝き』澤田典子(岩波書店)

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「アリストテレスの描いたアテナイ」

 よくアテナイの民主政は前三三八年のカイロネアの戦いでテーベと同盟してマケドニアと戦って敗北した後は、輝きを失ったとされる。多くの概説書は、アテ ナイの歴史の記述をこの敗戦でやめてしまうのである。しかしアテナイはマケドニアから寛大な扱いを受けて、前三二三年のラミア戦争が勃発するまでは、以前 と同じような民主政治を営んでいたのであり、アリストテレスが『アテナイ人の国制』で描いた民主制の様子は、この時期のものなのである。

 本書では、この一五年間の「黄昏」のアテナイの様子を生き生きと描き出す。この時期はデモステネスが活躍した時代であり、デモステネスとアイスキネスの 長年の法廷闘争が続けられた時期でもあった。日本では京都大学出版会刊行のデモステネスの演説集の邦訳を除くと、ほとんどデモステネスの活躍を知る術がな いので、「デモステネスを主人公とする」(p.5)本書は、多くのことを教えてくれる。

 この時代は、アレクサンドロス大王という無敵な英雄が支配した時代であり、マケドニアに逆らうことの恐ろしさを、ギリシアの各ポリスが実感してい た時代でもある。そのため外交政策はきわめて大きな制約をうけていた。アテナイがラミア戦争に走るのは、大王が急死したためである。それでも外交や内政 で、デモステネス。アイスキネス、リュクルゴス、ヒュパレイデス、デマデス、フォキオンなどの著名な政治家たちが活躍したのだった。

 デモステネスとアイスキネスは生涯の論敵である。特に有名なのは「冠の裁判」であり、デモステネスにディオニソス祭のときに冠を授けるという提案 が違法であるとして、アイスリキネスが訴えた裁判だった。しかしマケドニア王のフィリポスが暗殺され、その後の戦争でテーベが壊滅するにいたる動乱の時期 には、この裁判が停止されていた。

 それが三三〇年になって急に再開されたのである。著者はこれはデモステネスがアイスキネスの追い落としを計ったものと考えているが、この議論には 説得力がある。アイスキネスは「一〇〇〇ドラクマの罰金と市民権喪失に処された」(p.127)ためにアテナイを去ることになるからである。本書ではこの 裁判の模様が詳しく描かれ、当時のギリシアの裁判がどのようなものだったかを理解するにはとても役立つ。

 前三二三年に、有力な政治家だったフォキオンは、かつて命を救った人物から告発されて、祖国への裏切りの罪で死刑を宣告される。プルタルコスが 「フォキオンに起こった事柄はギリシアの人々に再びソクラテスのことを想い出させ、今度アテネに起こったこのと悪徳と不運があのときのことによく似ている と感じさせる」(p.224)と語っているが、アテナイの民主制が「衆愚制」と紙一重になっていたことをよくうかがわせる。

 それはともあれ、「〈黄昏のアテネ〉は、民主政が老衰した〈衰退〉の時代ではなく、民主政が最期の輝きを放った時代、最期の花を咲かせた時代だった、という見方もできるのではないか」(p.243)という著者のまとめの言葉に同意したい。

【書誌情報】
■アテネ 最期の輝き
■澤田 典子著
■岩波書店
■2008/03/19
■269p / 19cm / B6判
■ISBN 9784000220415
■定価 2940円

●目次
序章 「黄昏のアテネ」に迫る
第1章 決戦へ
第2章 敗戦—マケドニアの覇権
第3章 対決—「冠の裁判」
第4章 平穏— 嵐の前の静けさ
第5章 擾乱—ハルパロス事件
第6章 終幕—デモステネスとアテネ民主政の最期
終章


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2010年7月27日火曜日

kinokuniya shohyo 書評

2010年07月26日

『編集者 国木田独歩の時代』黒岩比佐子(角川選書)
『古書の森 逍遙』黒岩比佐子(工作舎)

編集者 国木田独歩の時代
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古書の森 逍遙
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「国木田独歩はビジュアル好きのすぐれた編集者だった」

古書ファンには女性が少ない。古書フェアなどでうつむき加減に、しかし内心は人にとられてなるものかと闘争心を燃やしつつ手を動かしているのは決まって男 性だ。ところが、これまで男性専科だった古書界で話題を集めている女性がいる。『古書の森逍遥』という本を出したばかりの黒岩比佐子である。ノンフィク ション作家の彼女は、執筆の途上で必要に迫られ古書を手にとるうちに、おもしろさに魅せられはまっていったという。

彼女のコレクションを解説した『古書の森逍遥』については後述するとして、まず取りあげたいのは、古書の知識を活かして知られざる事実を明らかにし た、『編集者国木田独歩の時代』という彼女の著書である。独歩が有能な編集者であったという、ほとんど忘れかけられている事実に光を当てた驚愕の書だ。

国木田独歩と言えば、だれもが浮かべるのは「武蔵野」。自然主義文学を代表するこの有名な小説のせいで、独歩といえば小説一筋で生きたような印象が 強いが、実は彼はグラフ誌の編集者として、時代を先取りするような仕事をたくさん成し遂げていた。『家庭画報』という、いまも読み継がれている婦人雑誌を 創刊したのは彼である。版元は変ったものの、明治期にスタートしたものがいまもその名前でつづいている事実には、自然主義文学者だけに収まらない彼の顔が 想像できるだろう。

20代の独歩は新聞社に勤めたり雑誌に寄稿したりしているが、鳴かず飛ばずと言った感じが強い。27歳で発表した「今の武蔵野」(のちに「武蔵野」 に改題)も評判にならず、結婚して子供もいる身なのに、生活は困窮をきわめている。ところが31歳で『東洋画報』の編集長に抜擢されてから、身辺がにわか に活気づいてくる。それまでの仕事は活字が中心だったが、今度の『東洋画報』は写真や挿画で見せるグラフ誌である。そこに彼の才覚が開花したのだった。

グラフ誌の成長をうながしたのは皮肉にも戦争である。日清戦争で大本営に写真班が設けられ、写真が積極的に使われるようになるが、当時はまだ戦況の 記録ではなく、作戦を練る資料として活用するのが主だった。現在わたしたちがあたり前のように接している空撮やコンピュータグラフィックスが軍事目的で開 発されたことを見ても、戦争と写真が手をとりあって進んできた一面が明らかだが、戦争が外国との戦いになりふつうの人々が異国に出征するようになったと き、写真が人々の視覚的な好奇心や興味を満たす役割をも担っていくようになったのは必然だっただろう。

『東洋画報』は6号目から『近事画報』と名を変え、版元も変って、グラフ誌らしい体裁を整えていく。そのあたりのいきさつは本書に詳しいが、興味深 い事柄として著者はふたつのことを挙げている。ひとつは『近事画報』の2号から全国各地で写真を撮って編集部に送る「特別通信員」制度がはじまっているこ と、3号に「満韓最新全図」の折り込み付録と、朝鮮で撮影された写真が多数掲載されていることである。日露戦争の開戦は翌1904年だが、独歩は戦争の気 配を察してビジュアルなページ構成で読者の興味を惹きつけたのだった。

戦争の火ぶたが切って落されると、戦争雑誌の創刊ラッシュが起きる。近事画報社にとっては日露戦争は「経営を軌道に乗せる千載一遇のチャンス」と なったのだが、「そこでの独歩の動きは素早かった」。画家を戦地に派遣して臨時増刊『戦時画報』を出すことを発表。この臨時増刊号は月3回発行されて本誌 のペースを上回り、日露戦争中はずっと『近事画報』が『戦時画報』と名を変えて出しつづけられる。「戦時」をビジュアルを伝える「画報」というイメージ が、大衆にとっていかに新鮮だったかがわかるだろう。

戦地に送られた画家のなかには、のちに小杉放庵の名で有名になった画家の小杉未醒の名があった。わたしは独特のユーモアと知性の光る放庵の絵のファ ンで、日光にある彼の個人美術館も好きな場所のひとつである。彼が漫画やポンチ画を描いていたことは知っていたが、独歩の雑誌で挿絵画家として活躍してい たことは知らなかったから、この事実にはとりわけ興味を引かれた。独歩より10歳若く、83歳まで生きた放庵には、独歩と同時代人という印象は薄いが、独 歩が没するまでずっとそばにいた良き伴奏者だったのである。

未醒の挿絵が『戦時画報』に果たした役割は小さくないと著者は見る。当時は写真の技術がまだ稚拙だったので、写真と挿絵を半々くらいに載せたと未醒 は後に回想しているが、写真が力をつけてくるまで、ジャーナリスティックな視線に満ちた彼のコマ絵(カット画)は誌面を大いに活気づけたのだった。たとえ ば「足のいろいろ」と題して、歩兵、砲兵、新聞記者など5人の足を観察し、職種や地位によって履いている靴がどうちがうかを描いて見せたりしている。

当時は臨時増刊号が大はやりで各社が競ってだしたが、この企画にも独歩の独自の視点が光っていた。日露戦争終結の1905年には『捕虜写真集』を出 している。日本軍の捕虜となったロシア兵の数は7万人を超え、全国各地に29箇所もの捕虜収容所が造られたそうだが、そこでの捕虜の日常生活を写した写真 集を出したというのだから驚く。当時の日本の読者にはほとんど受けなかっただろう。「敵国の捕虜のなどには関心がなく、戦地で戦っている日本の兵士の状況 を知りたい、というのが多くの人々の本音だっただろう」という著者の意見に同感である。だが、捕虜のロシア人は異国の空の下でどんな日々を過ごしているの だろうという率直で人間らしい好奇心には、現代のわたしたちの心にも触れてくる何かがありはしないだろうか。いま見ても新鮮な写真だそうだから、ぜひ見て みたものだと思った。

『富士画報』という臨時増刊も出している。はじめは軍艦「富士」の特集号かと思ったと著者は書くが、文字どおり富士山の特集で、編集部員が富士登山 して書いた紀行文と写真と絵で構成されていた。当時、戦勝祈願に富士登山するのが流行っており、とくに戦争が終結したこの年には女性がたくさん登ったとい う。戦勝の高揚感がブームをあおったのだろう。編集部でも富士登山を体験して息吹を伝えようとしたのだった。

未醒の戦地での足の観察もそうだが、捕虜のドキュメントといい、この富士登山ブームの特集といい、独歩の考えることにはいまでいうカルチャー誌的な 発想が感じられる。直線的に切り込むバリバリのジャーナリズムとはちがう。ひとつの事柄を別の視点で見たらどう見えるのかと考えてみる着想家の一面があっ たように思う。

もうひとつ著者ならではの取材力が発揮されているエピソードがある。独歩の妻治子は、夫が病気で亡くなった翌年の1909年に、「破産」と題した小 説を新聞に連載した。これは夫が独歩社という出版社をはじめてから解散にいたるまでのいきさつを書いたもので、実在の人物が仮名で出てくる。著者はその 20余名の登場者のモデルを資料を駆使して突きとめているが、そのなかでひとりモデルのわからない女性がいた。近事画報社に女性の写真部員として入社した 「梅子」という女性である。実在のモデルがいるにちがいないと察した彼女は「梅子」探しに乗りだす。

だが、いろいろと手を尽くしたが見つからず、九分九厘まで諦めたとき、かつて目にした明治期の女性のための職業案内書がよみがえる。そこに女性の職 業として「写真師」がでているのではないかと調べてみると、予想どおりそういう項目があり、「女子写真伝習所」という教育機関のあったことがわかる。さら には『文芸倶楽部』に掲載された「女子の写真術」という記事のなかに、「梅子」と思われるその学校の卒業生が触れられているのを見つけ出す。最後には彼女 の遺族を探してインタビューもしているのだ。

明治期に女性のための写真学校があったこと、愛媛から出てきてそこで写真を学び、独歩のもとで働いた女性写真家がいたことなど、驚くべき事実がつぎつぎと明らかになるこの箇所は、古書の森を分け入る著者の面目躍如といった感があり、手に汗をにぎりながら読んだ。

技術的にも体力的にも彼女より優れた男性カメラマンがいただろうに、独歩が日野水雪子という駆け出しの女性カメラマンを雇ったのはなぜだろう。独歩 はぐずぐずするのが嫌いな、恐ろしく短気な人で、「驚きたい」「感覚を鋭く新しく」というのが口癖あったらしい。彼と同い年の友人、田山花袋が「国木田独 歩論」のなかでそう書いている。そんな独歩にとって、女性カメラマンという新人種が興味をかきたてなかったはずがない。

この日野水雪子の例に見られるように、古書を古書に終わらせずに現代に繋げるダイナミズムが、本書の著者であり、古書のコレクターでもある黒岩比佐 子の大きな魅力だ。村井弦斎の評伝を書くために明治期の婦人雑誌を調べる過程で『婦人画報』が国木田独歩の作ったものだと知り、興味をもったのが最初で、 その後、『日露戦争 勝利のあとの誤算』を書いて日露戦争とジャーナリズムの関係を探ったとき、戦時下で読まれた『戦時画報』というグラフ誌がまたしても 独歩の編集だったのを知り、驚きがさらに増したという。

このように彼女の場合は知りたいことがあって古書にむかうのであり、ただ物珍しさに稀覯本を集めて悦に入るのとちがう。また資料で明らかになったこ とを後づけるために、関係者への取材も怠らない。こうして古書と現実とを行き来しながら、歴史のなかに埋もれてしまった事実を掘り出していく姿には、知的 好奇心に裏付けされた瑞々しさが満ちていて、知ることの楽しさを読者に教えてくれる。

『古書の森逍遥』には、彼女のインスピレーションの元になった古書の数々が紹介されており、本書を読んだら、つぎにはこれを手にとりたくなるだろ う。人物別の索引がついていて、「国木田独歩」で引くと、ここに登場する古書や使用した資料などが逆引できるのも楽しい。古書の世界をこんなふうに演出し てみるところに、独歩にも通じる新鮮な眼が実感できるはずである。


 『編集者 国木田独歩の時代』→bookwebで購入


 『古書の森 逍遙』→bookwebで購入

asahi shohyo 書評

ised—情報社会の倫理と設計 倫理篇(へん)・設計篇 [編]東浩紀、濱野智史

[掲載]2010年7月25日

  • [評者]斎藤環(精神科医)

■総合知としてのメディア論決定版

 インターネットが日常的なものとなり、掲示板やブログ、あるいはSNSサービスなどが浸透しはじめたゼロ年代中盤は、新たなメディア論の勃興(ぼっこう)期でもあった。

 旧世代のメディア論は、メディアが個人の心を「内破」し変容させる未来を夢想した。しかし新しいメディア論は、メディアがいかに社会を変えるかを実証的に問う。

 本書は2004年から06年にかけて、国際大学グローバル・コミュニケーション・センターで開催された研究会の議事録である。東浩紀ら、20代から30代の若手研究者が中心となり、多彩な分野から専門家を招いては、機知と熱気のこもった議論が展開されている。

 その膨大な記録は「倫理篇(へん)」と「設計篇」の2分冊にまとめられた。一冊あたり500頁(ページ)弱、しかも2段組みという情報量にまず圧倒されるが、司会を担当した東浩紀の見事な交通整理によって、啓蒙(けいもう)的でありながら読みやすい構成となっている。

 5年ほど前の議論でありながら、内容はまったく古さを感じさせない。むしろネットワークの可能性について、先鋭的なアイデアがいくつも先取りされていたことに驚かされる。

 鈴木謙介がネット上に勃興する自由至上主義や共同体主義について語り、白田秀彰が法学者の立場から価値観をいかにアーキテク チャとして設計しうるかを問う。北田暁大はネット上のリベラリズムとその核にあるアイロニーを検討し、高木浩光と辻大介は新たなプライバシー概念を洗練す べく、「匿名性」の問題を問い直す。

 ここで興味深いのは、どの議論もメディアの新たな可能性を検討しつつ、それぞれの専門領域のコンパクトな解説にもなっていることだ。

 そう、メディア論が明らかにするのは、変化の可能性ばかりではない。むしろメディアは顕微鏡のように、「人間」「コミュニケーション」「社会」などの本質をあらわにしてくれる。

 "総合知としてのメディア論"の決定版として、本書の座を脅かす本は当分現れそうにない。

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 あずま・ひろき 71年生まれ。批評家。はまの・さとし 80年生まれ。批評家。

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ised 情報社会の倫理と設計 倫理篇

著者:東 浩紀

出版社:河出書房新社   価格:¥ 2,940

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ised 情報社会の倫理と設計 設計篇

著者:東 浩紀

出版社:河出書房新社   価格:¥ 2,940

asahi shohyo 書評

イスラムから見たアレクサンドロス 民博准教授、伝承を出版

2010年7月27日

  紀元前4世紀の古代世界に遠大な版図を広げたアレクサンドロス大王。その人物イメージは多くの文明の中に浸透し、記憶されてきた。国立民族学博物館准教授 の山中由里子さんは大王を丹念に追い、学術書『アレクサンドロス変相 古代から中世イスラームへ』(名古屋大学出版会刊)にまとめた。史実と虚構の間に揺 れるイメージをとらえようとする力作だ。

 アレクサンドロス大王は、10代で哲学者アリストテレスの教えを受け、長じてマケドニア王となった。アケメネス朝ペルシャを滅ぼし、古代エジプトなども征服。中央アジアやインドの一部までも制圧した。ヘレニズム文化の生みの親でもある。

 山中さんの本は、大王がイスラム精神史の中でどのように描かれてきたか、を主題とする。

 「大王を軸にすることでイスラム社会の初期精神史を描ける、と気づきました。従来のイスラム史研究はムハンマド誕生以前の記述にあまり注意を払わなかったのですが、実は、そこにアレクサンドロスがしばしば出てくるのです」と山中さんは話す。

 宗教、政治、歴史など、さまざまな分野のテキストにあたった。アラビア語、ペルシャ語、中期イラン語の一方言であるパフラビー語など、幅広い言語力を生かした作業だ。中東や西アジア地域に流布した大王の伝承を、約590ページにわたり詳述した。

 「アレクサンドロスは魔法のじゅうたん。乗ってみると、歴史書、叙事詩、教訓書、博物誌、錬金術の書物……めまぐるしくいろいろなところに、私を連れて行ってくれました」

 昨年刊行され、日本比較文学会賞、島田謹二記念学藝賞を今年に受けた。

 着想は約20年前。「人のしないことを研究しよう」とテーマを探る中で「文明の十字路ともいえる中東や西アジア地域に目を向けたら、そこに大王がいた」。

 英雄、破壊者、征服者、哲人王、聖人……。見えてきたのは、大王の様々な"顔"だった。

 成果をペルシャ語で発表した時、イラン人研究者に「イランでは『大王』はつけない。『マケドニアのアレクサンドロス』と呼ぶ」と指摘されたこともあった。大王が征服した古代ペルシャと現在のイランの国土は重なる。

 「古代ペルシャの子孫だという自覚があるから、大王の尊称は決してつけたくないのでしょう。歴史的視座の違いを痛感させられました」

 博物誌や地理学の書物などに接するうち、別の構想も生まれてきた。「アレクサンドロスが諸地域で接した珍獣や情報などをめぐっ て、驚くべきエピソードも盛り込まれていたのです。それを手がかりに、さらに研究を進めたい。大王には、まだまだ導かれそうです」と話している。(米原範 彦)

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アレクサンドロス変相 —古代から中世イスラームへ—

著者:山中 由里子

出版社:名古屋大学出版会   価格:¥ 8,820

asahi shohyo 書評

ハングルの誕生—音から文字を創る [著]野間秀樹

[掲載]2010年7月25日

  15世紀半ば、朝鮮半島で、国王世宗と学者たちの手で、新しい文字体系「訓民正音」、後のハングルが生まれた。多くの言語と同様、音による<話されたこと ば>としてのみ存在していた朝鮮語が、いかに<書かれたことば>につくり上げられたのか。著者は、ハングルを書くことを「単なる文字ではなく、<知>と感 性のありとあらゆる細部を支えるもの」として描き出す。それは、漢字と闘い、植民地時代には日本語と闘い、「生き死にを懸けるできごと」だった。著者とと もに、新たな文字と文章(テキスト)が生まれる革命に立ち会うような経験ができる。文献案内も充実。