夏目漱石『門』 早坂暁(上)
[掲載]2009年3月29日
■文豪が投げかけた世紀の「公案」小説
一生かかっても解けないような「公案」(禅の設問)を夏目漱石は『門』の中で、私たちに投げかけている。
誰にも言えない不安に苛(さいな)まれる主人公野中宗助は、救いを鎌倉の禅寺に求めた。そこで与えられた「公案」は「父母未生(みしょう)以前本来の面目は何か」というものだった。
宗助は、自分とは畢竟(ひっきょう)何者かを問われていると受けとめ、いささかの答案を口にするが、老師からもっとギロリとしたものを持ってこいと一蹴(いっしゅう)され、すごすごと禅寺を去る。
漱石は書く。「門を開けて貰(もら)いに来た。けれども門番は……敲(たた)いても遂(つい)に顔さえ出してくれなかった。……要するに、彼は門の下に立ち竦(すく)んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった」
漱石はロンドンに留学してイギリスの文化、文明に圧倒された。それ以来、日本人とは何か、誇るべきものがあるとすればそれは何か、そればかりを考えつめていたのだ。
老師が言ったギロリとしたものとは何か。
推測するに、「武士道」ではないのか。『門』は明治43年に朝日新聞上に連載されたものだが、その10年前に新渡戸稲造が国内 外で大評判となる『Bushido:The Soul of Japan』を英文で発表して、日本精神のよって立つところを武士道としたのだ。ギロリとは 武士道だ。死ぬことと見つけたりという武士道である。鎌倉武士に密着した禅宗の老師らしい禅問答ではないか。
漱石は、日清と日露戦争で勝利して急速に夜郎自大となっていく日本人が大嫌いで、『門』の中の満州帰りの友人、安井こそ坂の上の兇雲(きょううん)だった。
それにしても漱石は、あの公案の答えを私たちに残していない。
答えは次なる世代に託されたのだ。よって『門』は「百年の公案」となった。
さあ私たちは何と答えるのか。答えねばなるまい。
◇
1910(明治43)年の発表。『三四郎』『それから』に続く3部作。新潮文庫(380円)などで読める。
- 三四郎 (新潮文庫)
著者:夏目 漱石
出版社:新潮社 価格:¥ 340
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- それから (新潮文庫)
著者:夏目 漱石
出版社:新潮社 価格:¥ 420
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