2009年4月2日木曜日

asahi shohyo 書評

森と氷河と鯨 [著]星野道夫

[掲載]2009年3月25日朝刊

■星野道夫が遺(のこ)した最後の物語

 13年前に急逝した写真家・星野道夫が、NHKで取りあげられるなど、いま再び脚光を浴びている。そして彼が、最後に追い求めたテーマがワタリガラスの伝説であった。

 北極圏には、ワタリガラスが世界を創造したという神話が、種族を超えて広範囲に伝承されているという。星野はこの神話を追って 南東アラスカを旅し、深い森と氷河に覆われた太古と変わらぬ風景や、目に見えないものに価値を置く人々の世界に深く分け入った。朽ちかけたトーテムポー ル、神々しいザトウクジラのジャンプ、轟音(ごうおん)を立てて崩れる氷河、苔(こけ)むした森の中で世代を更新する樹木といった写真は息をのむほど美し い。自然と人の営みや、過去と現在といった境界をあいまいにし、無意識の奥底に眠る記憶に働きかけてくるようだ。旅の後半、星野はシベリアに向かう。それ は、ワタリガラスの神話を抱いてアジアからアメリカに渡ったであろう人類の軌跡をさかのぼる旅であった。その途上で彼は地に還(かえ)った。

 本書は、1996年に刊行された同名の単行本に、写真家の足跡をたどる略年譜を加えて、軽装版に仕立て直したものである。「物 語の持つ力とは、それを語る人間の内なる世界観に深く関(かか)わっている」と、星野は記している。北極圏の風景に、人間が永遠性を取り戻す物語を重ね合 わせたまなざしが、深い余韻を残す。

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