2009年4月7日火曜日

asahi shohyo 書評

ロスコ 芸術家のリアリティ—美術論集 [著]マーク・ロスコ

[掲載]2009年4月5日

  • [評者]高村薫(作家)

■言葉の先にある 絵画の宇宙追求

  現代の抽象絵画がなんとなく苦手な私たち。結局好きか嫌いかでしょ、などと言って済ませることも多いが、そもそもなぜ抽象なのか、という初歩的な問いを一 つ立ててみたとき、私たちはすでに現代絵画の入り口にいるのかもしれない。その問いは、画家マーク・ロスコが立てた問いと同じだからである。

 ロスコは、まさに一目見ただけでは「何だ、これは」と言うほかない純粋抽象の絵を描いた人である。その表現を獲得する準備段階 として、画家自身が古代文明にまで遡(さかのぼ)って、造形表現とはいったい何かを俯瞰(ふかん)し、言葉によって絵画なるものをすみずみまで再構築す る。古代エジプトの壁画の人物たちはなぜ、一列に並んでいるのか。なぜ奥行きがないのか。奥行きのなさがなぜ、絵画の密度をつくりだし得ているのか、など など。

 絵画とは、画家が自身にとっての世界のリアリティをかたちにする営みだが、それはときどきの時代に自身を拡張し変化させてゆく 営みでもあり、数千年間にわたるその造形の成長過程は、論理の連続性で捉(とら)えられるらしい。解説者ではなく画家自身が発見する造形の論理は、そのま ま創造につながっているという意味で実に刺激的である。たとえば、ミケランジェロはものの外観、すなわち視覚でつくられた造形であり、ダ・ヴィンチは「触 知性」、すなわち実際に触れられるような感覚を目指した造形といった具合に。

 ロスコは、この「触知性」にこだわる。目に見える外観ではなく、ものの質感や質量を喚起するような触知性を描くのは、視覚と現 実が一致している世界を離れるという意味で、抽象の第一歩である。セザンヌもマチスもキュビストたちも、二十世紀のリアリティを、まずは触知性で捉えたの である。

 しかし、画家が画家であるのは、そうした世界のリアリティを超えた身体と精神の全一的な統一という感応を、さらに目指すものだ からだろう。世界のリアリティは言葉や造形表現で言い当てられるが、絵画芸術にはその先があることを、ロスコ自身が本書で仄(ほの)めかしている。

    ◇

 クリストファー・ロスコ編、中林和雄訳/Mark Rothko 米国の画家。70年に自死。

表紙画像

ロスコ 芸術家のリアリティ—美術論集

著者:マーク・ロスコ

出版社:みすず書房   価格:¥ 5,460

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