戦場の画家 [著]アルトゥーロ・ペレス・レベルテ
[掲載]2009年4月5日
- [評者]横尾忠則(美術家)
■撮影者と被写体 深遠な魂の対話
『戦場の画家』という題名から想像すると兵士になった画家のドキュメンタリーとばかり思っていたら、実はスペインを代表する著名な作家のミステリー仕立て の小説だった。深遠で謎に満ちた作品だが、それにしても全編に戦場の画家という主人公の呼称がなぜか数え切れないほど頻繁に反復される。その真意は一体ど こにあるのだろう。
というのは彼は戦争カメラマンで戦場の画家ではないからだが、読者はあまりにも反復が多いのでいつしかサブリミナル効果で洗脳されていく。戦場の画家が本当に画家になるのは地中海に面した高台の望楼の内部の壁に写真では撮れなかった戦争画を描くに至ってからだ。
そんなある日、クロアチア人の元民兵が訪ねてくる。そして言った。「あなたを殺すためですよ」。戦場の画家がかつて撮った民兵 の顔が雑誌の表紙を飾ったために、私の人生は破壊された、と。何と理不尽な因縁をつけられたものだろう。ここから心理的サスペンスドラマが深く静かに潜行 しながら、男の一方的な論理で戦場の画家をジワジワと壁際に追いつめていく。
そして両者の論理が一致を見た時点で処刑が成立するという何とも観念的なお話だ。まあなんとか殺す側も殺される側も理由が立っ たとはいえ、いつしか2人の間にはギクシャクしながらも妙な友情(?)が生まれる。クロアチア人との延々と続く議論の隙間(すきま)を縫って、戦場の画家 がメキシコで知り合った女性も登場する。彼女の卓抜な美術的教養と知識を得ながら、2人はセクシュアルで暗示的な関係へと深化していく。
彼女はあくまでも戦場の画家の回想の中でのみ存在するのだけれど、物語の進行に伴って2人の男の対話に恋人との蜜月時間がパラレルに、またシンメトリカルに交差しながら物語の核心を創造へと導く。
さらに、3人の運命が壁画の主題である戦争画への奔流を形成する。その背後にはジョット、パオロ・ウッチェロから始まってゴ ヤ、セザンヌ、ピカソ、キリコを通過して現代美術のアイドル、ウォーホル、バスキアら60人が西洋美術史を横断し、戦場の画家に霊感を与えながら助力す る。ほかにも写真家、映画監督、詩人、数学者、建築家、それにギリシャ・ローマ神話の神々まで、総勢100人以上の芸術家、賢者の存在も知らず知らず関与 している。
彼らの霊感の断片が歴史の万華鏡を奏でながら、処刑の秒読みに一歩ずつ接近する。同時に、増殖していく絵のイメージとどこまで 戯れることができるか楽しんでいるうちに、物語は肉体の限界と魂の永遠を暗示しながら『戦場の画家』が終息に向かっていることに、われわれは思わず気づか されてしまう……。
余談だが、戦場の画家にふさわしい表紙には、謎と不安、夢と現実、記憶と時間、エロティシズムと死の錬金術師キリコの、文中にもある「出発の憂鬱(ゆううつ)」をぜひ使ってもらいたかったなあ。
◇
木村裕美訳/Arturo Perez−Reverte 51年生まれ。スペインの人気作家。著書に『フランドルの呪画(のろいえ)』『ナインスゲート』『サンタ・クルスの真珠』『ジブラルタルの女王』など。
- フランドルの呪画(のろいえ)
著者:アルトゥーロ ペレス・レベルテ
出版社:集英社 価格:¥ 900
この商品を購入する|ヘルプ
- サンタ・クルスの真珠
著者:アルトゥーロ ペレス・レベルテ
出版社:集英社 価格:¥ 2,730
この商品を購入する|ヘルプ
- ジブラルタルの女王(上)
著者:アルトゥーロ・ペレス・レベルテ
出版社:二見書房 価格:¥ 830
この商品を購入する|ヘルプ
- ジブラルタルの女王(下)
著者:アルトゥーロ・ペレス・レベルテ
出版社:二見書房 価格:¥ 830
0 件のコメント:
コメントを投稿