2009年4月22日水曜日

asahi shohyo 書評

越境の古代史—倭(わ)と日本をめぐるアジアンネットワーク [著]田中史生

[掲載]2009年4月12日

  • [評者]広井良典(千葉大学教授・公共政策)

■ネットワークの驚くべき多様さ

  司馬遼太郎が韓国に滞在して書いた『韓(から)のくに紀行』に私は以前強い印象を受けたが、その中に次のような一節がある。「まだ日本が、日本という国名 さえなかったころ、『おまえ、どこからきた』と見知らぬ男にきく。『カラからきたよ』と、その男は答える。こういう問答が、九州あたりのいたるところでお こなわれたであろう」。そして本書『越境の古代史』もまた、同様のテーマを現代の新たな文脈と研究動向を踏まえて論じるものだ。

 著者がいうように、アジアなどの古代史では「国家や国境すら自明のものではない」。しかし日本史の教科書などでは、どうしても 「日本」という国が明確にあって、それが"外"と交渉するという印象の記述になっている。本書の目的は、そうした先入観を排して「古代の列島諸社会と国際 社会を様々に結ぶ、多元的・多層的なネットワーク」を浮き彫りにすることにある。

 具体的に取り上げられる話題は、5世紀前後に倭人の拠点のひとつだった朝鮮半島南部の加耶(かや)とのかかわり(冒頭の引用文 の「カラ」はここを指す)、日本の各地方の首長とアジア地域との直接的な「国際交流」、渡来の身体と技能・文化、新羅商人の国際的なネットワークの盛衰、 列島の南の動向等々、広範囲にわたる。

 そして「古代人は、互いをつなぐ驚くほど多様な社会的装置を持ち、それを駆使し、使い分けて、越境的なネットワークを動かし」 ていた、というのが結論的に導かれるメッセージである。現在のアジアで起こりつつある状況は、ある意味でこうした古代的ネットワークに通ずる一面をもつか もしれない。

 振り返れば、中華文明圏の辺境にいた日本は、明治期に「近代化」の名の下に"文明の乗り換え"を行い、すべてを西欧近代の座標 軸で見るようになった。私たちはなおアジア諸地域のことを、したがって私たち自身のことを表層でしか知らない。そうした認識の枠組みを様々なレベルで問い なおしていくにあたり、本書のような探究は重要な突破口のひとつになるだろう。

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 たなか・ふみお 67年生まれ。関東学院大学教授。著書に『倭国と渡来人』など。

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街道をゆく (2) 韓のくに紀行

著者:司馬 遼太郎

出版社:朝日新聞社   価格:¥ 525

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倭国と渡来人—交錯する「内」と「外」

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